久栄の懐妊
「身ごもったようです」
夕餉(ゆうげ)のとき、久栄(ひさえ 22歳)がうちあけた。
辰蔵(たつぞう 5歳)、初(はつ 2歳)につづく3度目の孕(はら)みなので、あっさりした口調であった。
「生まれるのは?」
「月のものが停まったのがこの月の初めですから、来年の夏ごろかと。近く、とりあげ婆さまのところで診(み)てもらいます」
「なにはともあれ、めでたい」
「猫腹だとおっしゃられるかと、おもっていました」
「なにをいう---子は多いほどよい」
そう答えてから平蔵(へいぞう 29歳)は、30人兄弟姉妹で、おんなの10番目と自嘲ぎみにいった菅沼家の後家・於津弥(つや 35歳)が、暗夜の階段の踊り場でもたれかかってきた重い躰の感触をおもいだした。
(なんということだ、おもいだすにもこと欠いて---今夜あたり、久栄を寝間へ招いておくか)
「辰蔵、初---と、男、おんな、ときましたから、こんどは男かとおもわれます」
「その男とおんなが、いまのところ、無事に育っているのだから、つぎはどちらでもいい」
「いいえ。わたくしの顔つきがきつくなったから、男でございましょうと、有羽(ゆう 40歳)が太鼓判をおしてくれました」
有羽は、平蔵の母・妙(たえ 49歳)づきの小間使いである。
16歳のときから長谷川家に奉公にあがり、そのまま嫁にもいかず、屋敷のなかのこまごましたことの片づけにあたっていた。
いまは、暇をみては、辰蔵のしつけにあたっていた。
「七代さまは、こうなさいました」
「備中守さまは、こうでした」
口ぐせであった。
〔七代さま〕である宣雄(のぶお 享年55歳)が、なんども縁談話をもちかけたが、
「お屋敷においてくださいませ」
首を縦にふらなかった。
少女時代に、よほどに辛いおもいをしたのであろう。
京都で病床についた宣雄が、銕三郎を枕頭に呼び、
「江戸の留守宅を妙とともに守ってくれている有羽は、かんがえてみると、長谷川家におんなの一生をささげたようなものだ。終生、気にかけてやれ」
言いのこした。
平蔵は、おどけて、
「子を産んだことにない有羽に、腹の中の子が男かおんなか、いいあてられるわけはない」
笑いとばしたが、よけいなことを口にしたと、しばらく後味が苦かった。
(久栄の面相がきつくなっているのは、腹の子が男の子だからではなく、おれの所業が気にくわないからだ)
これも、口にしてはいけない。
うっかり言うと、溜めていた不満が一気にふきだすことは目に見えていた。
風が雨戸をたたきはじめたころ、桃色の寝衣に着替えた久栄が、足音もたてずに、するりと横に入った。
顔を平蔵の胸にくっつけ、しばらくふるえていたが、腰紐を抜き、寝衣の前をひらいた。
【ちゅうすけ注】このとき懐妊していた子が、『鬼平犯科帳』巻10[追跡]で、辰蔵からへそくりをせびられる次女・清(きよ 15歳)である。
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コメント
久栄さま。
第3子の妊娠、おめでとうございます。
いい赤ちゃんをお生みなさいませ。
それが、長谷川家での発言権を強くする最善の道です。
投稿: tsuu | 2010.04.17 04:53
年齢からいうと、次女・清は、辰蔵より5歳下かなと推定できます。
それで、懐妊してもらいました。
史実の久栄の偉いところは、長谷川家で、脇腹の子をやめさせたこともその一つです。
これで、平蔵の浮気がとまれば、いうことないですね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.04.17 06:03