〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、題名になっている火盗改メ・堀帯刀組から消えた元・同心高松繁太郎(当時27,8歳)に、女賊お杉を奪われ、8年間にわたって高杉を狙っていたのが〔笹熊(ささくま)〕の繁蔵である。
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
8年前の天明7年(1787)、非道な盗賊〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎一味を内偵していた高松同心は、〔蛇骨〕配下の女賊お杉(30歳)と接触ができ、30両の支度金でお杉を逃がすことを条件に、一味の盗人宿を聞き出すことにしたのだが、堀組は金を用立てることを拒んだ。
(参照: 〔蛇骨〕の半九郎の項)
高松は、佐嶋与力あての置手紙を残して役宅を出奔するときに、お杉をともなった。
年齢・容姿:標題の事件が起きた寛政6年(1794)には37,8歳。「通り名(呼び名)」の「笹熊」は「アナクマ」の別称とあるから、あの小獣に似た容貌だったのであろうか。
生国:遠江(とおとうみ)国のどこか(現・静岡県西部のどこか)。
記述はないが、〔蛇骨〕一味を抜けたあと、〔血頭(ちがしら)〕の丹兵衛の口ききで、〔野槌(のづち)〕の弥平のところへ身を寄せたとある。〔血頭〕は駿河の島田、〔野槌〕も三河国の出身である。地縁を考えると三河か遠江であろう。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
繁蔵が江戸での巣にしていた,、品川宿はずれの小さな蝋燭屋の亭主の叔父・六兵衛も、もとは、尾張から美濃へかけて一人ばたらきをしていた盗人だったというではないか。
探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介は市中見廻りの途中、赤坂・一ッ木の菓子舗〔鈴木屋〕で叔父・谷全右衛門の好物の〔一輪牡丹〕を持参し、愛宕下の旗本横田大学の屋敷内の長屋を訪ねた。
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)
上・左の〔成田屋〕に「一口一輪牡丹」 下・中に赤坂一ッ木の〔鈴木若狭掾〕
愛宕下(部分)。画面の手前に横田大学の屋敷があることに---。
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
そのあと、愛宕権現に詣でた参道で町人姿の高松繁太郎とであった。近くの料理屋〔弁多津〕で酒を酌みかわして別れたところ、高松は襲ってきた相手を刺殺した逃走。
殺されたのが、〔笹熊〕の繁蔵と名ざしたのは、かつて〔野槌〕一味にいっしょにいた〔小房〕の粂八だった。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
結末:〔笹熊〕の繁蔵自身の件は、高松元同心に刺殺されたところで終わる。が、物語のほうは、蝋燭屋・六兵衛が仕掛人をやとって密偵となっていた高松を惨殺するところまでつづく。
つぶやき:高松繁太郎が愛想づかしをして組をでた、堀帯刀重隆が火盗改メを勤めたのは、冬場の助役(すけやく)が天明元年(1781)から同2年春まで。本役が天明5年(785)1月25日から同8年(1788)9月28日まで。
高橋繁太郎の事件は、天明7年と推定できる。池波さんによると、堀帯刀がこの職に飽き々々していた時期であったらしい。
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