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2004.12.21

〔手越(てごし)〕の平八

短篇[さいころ蟲]は、池波さんには初の博徒ものである。
昭和35年(1960)、『小説倶楽部』3月号が初出。
[錯乱](『オール讀物』)で直木賞を受ける前月の号である。
2年後の)、『小説倶楽部』5月号[盗賊の宿]にも〔手越〕の平八が顔を見せている。
両篇ともに『あばれ狼』 (新潮文庫)に収録。

年齢:27歳。[盗賊の宿]では、苦味ばしった浅黒い顔。
生国:駿河(するが)国有渡郡(ゆうとこおり)手越(現・静岡県静岡市駿河区手越)

探索の発端:一宿一飯の義理で、野州・真岡一帯を牛頭じる小栗一家の親分・伝吉を暗殺した〔手越〕の平八は、妙なことから、やはり、ひとり旅の老博徒、〔前砂(まいすな)〕の甚五郎と、山間の温泉で傷がなおるのを待っている。
甚五郎は、隙をみて、平八の首を小栗一家へとどけるつもりでいるのだ。

その2人の会話----。
「平八どんの在所は、手越だったな」
「うむ----」
「東海道のか----」
「府中の一寸先だよ」
「ふうん----」

つぶやき:手越は、安倍川下流の右岸にあり、いまは、静岡市に組み入れられている。下りの新幹線が静岡駅を出てすぐにわたる川が安倍川。その川上に扇をいくつも並べたような欄干の橋が望める。旧東海道にかかるその橋の西詰が手越である。

008
安倍川にかかる駿河大橋から上流をのぞむ。鉄橋は旧東海道の駿府(静岡)と西側右岸の手越をむすんでいる。鉄橋の西詰(写真左)が手越

ヒントは「東海道」。
「府中」はいたるところにあるが、「東海道」とあるから「駿府(静岡市)」も有力候補となる。
池波さんは、[さいころ蟲]を書く5年前に、静岡から安倍川を遡行して安部峠を徒歩で越えている。
手越は、そのときに見知った町名かも。

で、岸井良衛さんの『五街道細見』(青蛙房)でたしかめた。
この本は、時代ものを精読するには、離せない。

ついでにいうと、甚五郎老人の〔前砂〕は、中仙道の鴻巣(こうのす)の先だが、地元では(まえすな)と呼んでいると、朝日CC〔鬼平〕クラスでいっしょに学んでいる〔上尾宿〕のくまごろうさんがしらべた。
前掲『五街道細見』は(まいすな)とルビをふっているから、池波さんはこれによったのであろう。
岸井さんが(まいすな)とした根拠は未調査。

〔前砂(まいすな)〕という「通り名(または呼び名)」を持つ盗人は、『鬼平犯科帳』文庫巻1[老盗の夢]にも登場する。もっともこちらは、〔前砂〕の捨吉といい、巨盗〔夜兎〕の角右衛門の配下で、元鳥越の松寿院の門前で花屋の亭主をしている。この花屋は、もちろん、〔夜兎〕の盗人宿である。

松寿院という寺は、元鳥越にはない。あるのは、寿松院。
松寿院は、執筆時に池波さんが手離したことのない切絵図、近江屋板の誤植をそのまま写したにすぎない。


もう一人は、[正月四日の客(角川文庫『にっぽん怪盗伝に収録)に出てくる〔前砂〕の甚七。大盗〔亀〕の小五郎の配下で、向島・源森川に近い常泉寺の寺男に化けていた。

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コメント

2005年1月9日(日)の朝8時20分ごろ、JR東海道線「安倍川駅]へ降り立ちました。新幹線[静岡]から「各停」に乗り換えて西行き、最初の駅です。

静岡駅を出て安倍川鉄橋まで2キロ強、わたり終ってからさらに2キロほどで「安倍川駅]。

安倍川まで「これは、かなり歩くな」と覚悟しましたが、手越原神社などに参詣したため、安倍川にかかる駿河大橋に達するのに30分ほど要しました。

長い駿河大橋をえんえんとあるきながら、冬の乾季のためでしょう、水量がきわめてすくないのを見て、「そうか、徳川家康が江戸移封を承知した理由の一つに、隅田川の水量に惚れたこともあったのでは-----」と思いつきました。
水量があれば、舟による物資の運搬が容易です。

浜松(遠江)から静岡(駿河)まで、水量が豊な川といえば、天竜川ぐらいでしょうから。

けっきょく、静岡駅まであるいてしまいました。

投稿: ちゅうすけ | 2005.01.18 10:22

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