与力・浦部源六郎(5)
「浦部さま。じつは今宵のお願いごとが、一つ、のこりました」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)が姿勢を改めると、
「ほう。なんでございましょう」
浦部源六郎(げんろくろう 50歳がらみ)も形をあらためた。
「絵師の冬斎(とうさい)どのとお親しいとか---」
「ああ、戯(ざれ)絵師の北川冬斎なら、碁仇(がた)きのようなものです」
浦部与力の話によると、あまりに露骨な枕絵を描いて露店で売らせているので、奉行所へ呼んできつく叱ったことから縁ができたのだという。
「戯(ざれ)絵ですか?」
「いや、腕は西川祐信(すけのぶ)仕込みで、あることはあるのですが、なにしろ、おんな遊びがはげしくて、その金算段に困っての秘画描きなのです。で、冬斎にご用とは?」
「化粧絵をとおもいまして---」
「ああ、〔読みうり]の?」
「はい」
「そのような仕事でしたら、いつにてもお引きあわせいたします」
「では、明日にでも---」
「今宵、帰りに寄ってみましょう」
北川冬斎の住まいは、千本出水(せんぼんでみず)の華光(けこう)寺の裏長屋であった。
【ちゅうすけ注】千本出水・七番町の華光寺は、翌安永2年(1773)に、平蔵宣雄(のぶお 享年55歳)の葬儀が挙げられた寺である。
冬斎がその裏に住んでいたのも、なにかの因縁であろう。
「冬斎、おるか?」
布団からこっちを見た男が、あわてて起きあがってきた。
下帯ひとつの裸にちかい、狸づらの40男であった。
「こら、与力はん。なにごとでおじゃります?」
「なんや、その姿は。お客さまをお連れしてんのに---」
浦部同心は、銕三郎を引きあわせると、
「あとはよろしゅうに---」
さっさと帰ってしまった。
銕三郎が化粧(けわい)指南の〔読みうり〕の案を話すと、
「ただでも、描かせてもらいまひょ」
冬斎は、島原をはじめとする色街の人気美女をモデルにした似顔絵と聞いて、妓女たちがモデルになりたくて売りこみにくる---つまり、ただで遊べたうえにもてる---とふんだらしい。
いまでいうと、テレビに出たがるタレントみたいなものか。
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