« 養子縁組(その2) | トップページ | 久松松平家と長谷川平蔵家の因縁 »

2007.04.27

養子縁組(その3)

幕府が定めた養子とりについての法規を、[武家諸法度][御条目]から引いた。
古いほうから、年代順に、並べてみる。

寛永9年(1632)9月、[御条目] 
 被相続人の生前に同姓の中からの申請をといい、末期養子は認めず、きびしすぎる。

寛文3年(1663)[御条目]
 寛永9年分につけ加えて、被相続人が50歳以下の場合は、末期養子は品次第と、少しゆるめる。
 同姓でも、弟同甥同従弟同甥並に又従弟と、被相続人より年下からの選択を勧める。
 同姓の中に適任者がいない場合の救済内規を定めた。

天和3年(1683)7月[武家諸法度]の一項目に入れる。
一養子は、同姓相応之者を撰ひ、若し無之におゐては、由緒を
 正し、存生之内可致言上、五拾以上十七以下之輩及末期致
 養子、吟味之上可立之、従雖実子、筋目違たる儀、不可立
 之事。

(養子は、姓を同じくする一族の中からふさわしい者を選ぶこと。
 もし、ふさわしい者がいない場合は、家格とか縁者などを吟味
 して、被相続者が生きている間---なるべくなら50歳までのあ
 いだに手続きをとること。
 被相続者が50歳以上、または17歳以下であったり、末期養
 子の場合は、お上が適否を判断することになる。
 実子の場合であっても、嫡子をさしおいて、理由なく次子や第
 三子を立てるとぃった、筋目をたがえてはならない)。

宝永(1679)4月
 親族家人による議定を条文に挿入する。
 危急の場合の処置には、父祖の功績を考慮にいれた特例を許す。
 係累を軽視した貨財目的の養子をいましめる。

享保2年(1717)3月11日[諸法度]
 天和3(1683)年7月の[諸法度]の再公布。

延享3年(1746)5月[諸法度]
 天和3(1683)年7月の[諸法度]の再確認。
 
ここまでは、紹介済みである。
130_15このあとは『御触書天明集成』(岩波書店 初刷1936.8.15 第2刷1958.5.27)と『御触書天保集成・上』(同 1937.11.30 1958.7.28)に拠る。

天明7年(1787)9月[諸法度]
 天和3(1683)年7月の[諸法度]の再確認。

『御触書天保集成・上』は、天明7年9月の[諸法度]の条項を再録しているのみ。

幕府も後期に入ると、養子縁組の常識が定着するとともに、抜け穴もいろいろと考案・黙認されて、条文は名目上のものになった気配があるが、そのことは、このブログの趣旨ではない。

平蔵宣以(のぶため)も、辰蔵宣儀(のぶのり)も、「法度」どおりの跡目相続をしているからである。

|

« 養子縁組(その2) | トップページ | 久松松平家と長谷川平蔵家の因縁 »

214武家諸法度」カテゴリの記事

コメント

私はブログに掲載されたのを順次書き加えつつ表を作って読んでましたが、長期間の江戸の法令書の中から探し出すのは大変な作業ですね、お疲れ様でした。

投稿: みやこのお豊 | 2007.04.27 07:24

いつもいってることですが、長谷川平蔵宣以という1人の武家を徹底的に調べ、想像し、連想することで、より深く徳川時代を、また江戸という都市を知ることになります。
「だから、どうなんだ」といわれると、返す言葉もありませんが、極めていくのは、知的探検に似ています。
山に登って世間を見晴らし、川にもぐって人情を探ります。

まだまだ調べなければならないことが、山ほどあります。うかうか、死んでられません。

投稿: ちゅうすけ | 2007.04.27 09:25

どうぞその意気込みで長生きされて、私達に知識を発信し続けてくださいませ。
(負けないようについていきますので)

投稿: みやこのお豊 | 2007.04.27 12:27

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 養子縁組(その2) | トップページ | 久松松平家と長谷川平蔵家の因縁 »