同心・加賀美千蔵(4)
松造(まつぞう 21歳)と小者が戻ってくるあいだ、焦慮をまぎらわせるためか、東町奉行所の同心・加賀美千蔵(せんぞう 30歳)は、いましなくてもいい話題を披露した。
町奉行所の与力と同心の俸禄と屋敷について、大坂のそれとくらべての愚痴であった。
俸禄が大坂並みに、与力が200石、同心が10石3人扶持にあがったのは、東が12代j前の松前伊豆守嘉広(よしひろ 56歳=転出時 1600石)、西は11代前にあたる小出淡路守守里(もりさと 48歳=致仕時 1600石)---つまり元禄のころ---70年前だという。
(まさに、役人の待遇の差別は恨み骨髄だな)
屋敷の広さも、大坂は与力が500坪なのに、京都は200坪、同心も大坂の200坪に対して京都は半分の100坪と嘆いた。
「加賀美どの。むしろ、狭いのは、それだけ地価が高いと誇るべきではないでしようか。江戸の町奉行所の与力・同心衆も、屋敷の広さは京師とおなじと聞いております」
「大坂がうらやましい」
「転勤をお望みですか?」
「とんでもない」
(役人衆の、いつもの高望みの愚痴なのだ。しかし、なぜ、拙に---?)
銕三郎(てつさぶろう 27歳)が案じかけたところへ、松造が首をかしげながら戻ってきた。
「幼な子の声はしませんでした」
小者・巳之吉(みのきち 25歳)が顔色を変え、あたふたと駆けるようにして帰ってき、どもって、つまりつまり報告。
「み---店の、表戸が、し、しまっとりますねん。き、近所の衆は、た---たしかに、2つぐらいの、女の子ォが、いとるいうとりまねんけど」
「加賀美さん。急いで!」
銕三郎が飛び出た。
松造がつづく。
加賀美千蔵同心は、お茶にむせ、息をととのえる分、おくれをとった。
表戸を蹴破って入ったが、もぬけのから。
昨夜から準備をしていたらしく、奥はきれいに片づいていた。
店内の商品も、よくみると、のこしているのは安物ばかり。
「しまった。拙が来たことで、奴らは警戒したのです」
「丑三(うしぞう 40がらみ)に、あんじょう、騙されましたな」
竃の前に、童女のものとおもわれる、片袖がなくなっている人形が落ちていた。
「いえ。手前が、きんのう、予告したよって、消えたんです」
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コメント
きょうの、大坂町奉行所に与力・同心の組屋敷の敷地面積と、京都のそれの差の比較は、初めて知りました。
史料があってのデータと思いますが、よくもお見つけになりましたね。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.09.16 10:39
>文くばり丈太 さん
いつも、お気くばりいただき、感謝。
おほめいただいた史料は、京都町奉行所・与力だった神沢貞幹『翁草』(吉川弘館 『日本随筆大成』24)から引きました。
著作の場合は、手に入ったデータは、刈りとって、なるべく遣わないのが常道ですが、ブログは長丁場ですし、記録としての意味もあるので、刈らないで掲示するようにしています。もちろん、記録しておくに値いすねものだけですが。
投稿: ちゅうすけ | 2009.09.16 17:32
そういうことなんですね。
ちゅうすけ先生のブログは、たしかに、一般公開されているわけだから、汎用性も記録利用性も高く設定されているんですよ
ね。
だから、些細なデータでも、記録しておく必要性が高いんですね。
ネット時代のアーカイブのあり方のいいヒントをいただきました。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.09.17 04:51
>文くばり丈太さん
もう一つ、ネットのいいところは、片面通行でなく、コメンドにレスがつき、それにまたレスが返され、さらに---といったようなコメントのピンポンで、論点が鮮明になっていくことでしょう。
このレスの例のように---。
投稿: ちゅうすけ | 2009.09.17 08:49