平蔵、捕盗のこと命ぜらる(4)
「お頭(かしら)。お早うございます」
筆頭与力の脇屋清助(きよよし 59歳)が書院へあいさつに来、そのまま役宅用の別棟へ下がった。
時刻は4ッ(午前10時)に近かった。
今日が三度目の遅刻であった。
平蔵はすぐに脇屋筆頭の供の小者を呼びにやり、縁側の踏み石にひかえるとやさしげな音調で、
「今日は、どこで気づいたかの?」
「平河口ご門でございました」
「ふむ」
火盗改メ・助役の任に就いてから15日ほどたち、平蔵が手ずから庭の一隅に植えた梅擬(うめもどき)が紅い小さな実をつけていた。
脇屋清助の様子がおかしいと気づいたのは、7日前であった。
先手組としての出仕・警備場所である江戸城内の五門のひとつ――坂下門へ入って行こうとしてとがめれた。
火盗改メの与力の詰所は、お頭の屋敷――つまり役宅である。
平蔵はすぐに、安っさんこと、医学館の教頭・多岐安長元簡(もとやす 33歳)の意見を徴した。
「老朦のはじまりだな。大事にいたらぬ前に隠居させなさい」
脇屋清助とのつきあいのはじまりは、ずいぶんとふるい。
平蔵が28歳、45歳の脇屋は、いまの先手・2番手組の筆頭与力並であった。
【参照】20091211[赤井越前守忠晶(ただあきら)] (2)
老朦とは、いまの認知症に近く、明哲・敏腕でもとりつかれる。
平蔵は、ひそかに筆頭与力並で次席と呼ばれている館(たち) 朔蔵(さくぞう 32歳)と最古参の高瀬丹蔵(たんぞう 51歳)と合議、朔蔵を筆頭、高瀬を次席にあげ、脇屋に引退をすすめる手はずにしていた。
いいだせずにいたのは、脇屋の家庭の事情があったからだ。
すなわち、脇屋夫婦には2人のむすめがい、両方とも嫁(とつ)いでいた。
養子の男の子はまだ12歳で見習いにあがれる年齢ではなかったが、そこをなんとかして与力の扶持の半分でももらえる算段をしていたところであった。
しかし、猶予はできなかった。
高瀬の次男・友三郎(ともさぶろう 16歳)を脇屋家に養子として入れ、与力見習いとして出仕させ、見習い手当てを支給する。
3年後、元からの養子の子が16歳になったら友三郎と入れ替わる。
「友三郎のその後の身のふり方についてはわれが責任をもつ」
平蔵が提案した。
先手組の与力・同心は旗本の身分ではないから初見もなく、表向きは一代かぎりの勤め・再雇用という形式をとっている盲点を利用した救済策であった。
同時に、組の若返りも狙っていた。
55歳をすぎている与力はいなかったが、同心には3人いたので、半年以内に息子を家督させるように手くばりをはじめた。
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