口合人捜(さが)しの旅(4)
岸壁めぐりから、早々と帰ってきた2人を認めた本陣・〔苅部〕の主人は何を勘違いしたか、
「船頭が気をきかせて金沢勝景あたりまでご案内しているとばっかりおもっていましたが、浜風はやはり、江戸育ちのお客さまにはまだ冷たかったようですな。これからなら帷子(かたびら)川」あたりなら大丈夫かも。昼餉(ひるげ)にもちょうどよろしゅうござ゜いましょう」
すすめた。
(金澤勝景・右側 『江戸名所図会』 塗り絵師:(ちゅうすけへへ)
たしかに、金沢勝景はすばらしいが、旅の目的からそれている。。
年を改めよう。
帷子川へ向かった。
これまでお園は、ほとんど街中で暮らしてきた。
日本の田舎をあまり見てはこなかった。
土地には土地のよそおいががあった。
たとえば、このあたり里は松と杉樹と柿でできていた。
・
山には落葉樹が多い。
くぬぎの類。
合戦があると樹木が生え替わる。
おんなも男ゆによってかわるのか。
子どもによって変るのであろう。
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