〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されている[泥鰌の和助始末]で、主人公の〔泥鰌(どじょう)〕の和助がかつて配下だった〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛は、3代つづいた名門で配下も多く、2手3手に分かれて、三河、遠江、駿河から江戸へかけてのお盗めをこなしていたが、それも何年もかけての本格的な仕事ぶりだった。
(参照: 〔泥鰌〕の和助の項)
ところが、3代目が30歳で若死にしてから、後継者がいなかったので、配下はばらばらに散っていった。
年齢・容姿:30年ほど前に、30歳で病死。容姿の記述はない。
生国:伊豆(いず)国加茂郡(かもこおり)地蔵堂村(静岡県田方郡中伊豆町地蔵堂)。
三河、遠江、駿河から江戸へかけてがテリトリーだったというから、現・岡崎市美合町地蔵も考えたが、江戸期には記録されていない地名なのであきらめた。
近江国犬上郡地蔵村(現・滋賀県彦根市地蔵)の彦根を池波さんはよく訪れているし愛してもいたから捨てがたかったが、テリトリーに遠すぎる。
探索の発端・結末:3代目が30歳で病死、一味を解散しているのでどちらもなし。
つぶやき:〔泥鰌〕の和助は、父親・留次郎の代から〔地蔵〕一味にいたという。なんだか、地方の中小企業に親子2代とも勤めているという、まことに日本的な奉公ぶりをみるおもいがする。
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