長谷川宣雄の年譜と雑事
長谷川平蔵宣雄・年譜
享保4年 生
(1719)
延享3年(28歳) 銕三郎生
(1746)
寛延1年(30歳) 修理宣尹の養子の
(1748) 従妹と縁組・家督
〃 西丸書院番士
〃 3年(32歳) 本妻逝去
(1750) 鉄砲洲・築地へ転居
宝暦8年(36歳) 西丸書院番岡部伊賀守組より
(1754)9月15日 小十人の5番組頭
明和1年(46歳) 南本所・菊川へ移転
(1764)
〃 2年(47歳) 先手弓の7番手組頭
(1765)4月11日
〃 8年(53歳) 火付盗賊改メ助役
(1771)10月17日
〃 9年(54歳) 火付盗賊改メ定加役
(1772)3月6日
安永元年(54歳) 京都西町奉行
(1772)10月15日
〃2年(享年55歳) 卒
(1773)6月22日
宣雄が火盗改メ時代(助役)の本役は中野監物。病死。
いきさつは[20-6 助太刀]p215 新装p223
長谷川家に関係の深い火事は、
明和9年(1772)2月29日の目黒行人坂の火事。大円寺
寛政6(1794)年1月10日の麹町平川町から虎の門、芝
橋場・釣道具屋・浜屋伊四郎
宣雄がここの釣竿をひいき[12-4 密偵たちの宴]p184
新装pp194
平蔵は、釣りはしない。
むかし、戸田肥前守(7000石。側衆)になみなみならぬ世話になった。[20-5 高萩の捨五郎]p212 新装p219
細井と長谷川の両家は、父親同士がおなじ役目についた。[20-6 助太刀]p215 新装p223
細井彦右衛門は平蔵より16,7歳年下。生まれて間もなかった彦右衛門を抱いて庭へ出てお守りをしたというのは宝暦11,2年(1761,2)のころか。巣鴨から生家へ帰ったのが17歳なら、宝暦12年のことだろう。[20-6 助太刀]p215 新装p223
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