御仕置例類集の件数
昨日、紹介した『御仕置例類集』の伺い件数は、そのまま、長谷川組、堀組の事件処理件数を意味しない。
伺いは、あくまで評定所へ伺った件数であって、火盗改メが自力で処理した事件や、町奉行所へ引きついで任せた事件もある。
その記録を、「長谷川平蔵は残していない」と非難したのが、後任の森山源五郎孝盛である。
(テレビでは、吉右衛門=鬼平や高橋悦史=佐嶋忠介が、過去の記録を調べるシーンがあるが)。
たしかに、森山の非難があたっている面もないではなかろう。しかし、では、森山組は記録を残したかというと、その記録を目にしたことがない。
白洲の寸法とか、与力・同心の職務分担の書き残しはある。
もっとも、森山の火盗改メの任期は、わずか1年ほどであったし、彼が組頭となった西丸・先手筒の1番手組は、過去50年間にいちども火盗改メを経験していないから、事件簿の書式も知らなかったかもしれない。
同じ時期、長谷川組がした火盗改メの経験月数は延べ144か月で、全34組の先手組の中で最長であった。
というわけで、長谷川組が取り扱った実際の事件で、葵小僧、真刀小僧、大松といった大物盗賊の事件は、『御仕置例類集』には記載されていない。
だから、池波さんは、葵小僧の事件は、別の史料を参照したことになる。
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