裕福なふりをしてはいけない
火盗改メとして、長谷川平蔵の前任者だった堀帯刀(たてわき)秀隆という幕臣の造形には、池波さんもかなり手こずった形跡がある。
1500石の家禄を500石にしたのはご愛嬌としても、連載の最初のころは、
堀帯刀は、長谷川平蔵の前任者で、なかなかの腕ききであった
し……〉([密(いぬ)偵])
と持ちあげたり、堀組筆頭与力・佐嶋忠介を
「……忠介で保(も)つ堀の帯刀」(同)
と書いたりもした。
ところが、連載5年目あたりの「狐雨」では、
堀帯刀は無能のため……
盗賊改方・長官を解任された人物としている。
評価を変えたのはなんらかの史料が入手できたからではなく、単に平蔵の超人的な活躍を際だたせる目的だったようだ。
4,5年も連載がつづいていれば、編集者をはじめとする各方面から情報が寄せられてくる。
たとえば、天明7年(1787)の米屋の打ちこわし騒動のときの火盗改メは堀組だったが、暴徒が暴走するまえに鎮圧できなかったのは無能のかぎり、ともいえるし、いや、あれほど大規模な大衆の反乱は、わずか与力10人同心30人の堀組だけでの鎮圧はとても無理、げんに幕府は先手組を10組も出動させたではないか、との弁護論もなりたつ。
帯刀がさほどのはたらき手ではなかったという史実が公けになったのは、老中・松平定信派の隠密たちが書き上げた報告書『よしの冊子』が1980年末から81年初頭にかけて中央公論社から「随筆百花苑」の第8,9巻として活字化されたときだ。
本邦で初めて『よしの冊子』を収録した『随筆百花苑』
『鬼平犯科帳』でいうと、文庫巻21収録の諸篇が執筆されていたころだから、先にあげた[狐雨]などよりうんと後年。
隠密たちの目線が低いきらいはあるし、反定信派には容赦のない『よしの冊子』だが、それでも堀帯刀の具体像があるていどはうかがえるのはうれしい。火盗改メを平蔵と交替して、先手の組頭から持鎗頭(もちやりがしら)へ昇進したときの帯刀を、隠密はこう報告している。
「栄転先が御鎗持だと、先手組頭より席順はすこし上がるが、役料は同じ1500石、しかもわが家は家禄が1500石なので足高(たしだか)は1石もつかない。だからお役ご免で無役でいるよりもかえって物入りで迷惑、といっている。数年間も火盗改メを勤めて極貧になったのに、同じ役料のポストへ仰せつけられるとはむごすぎる。お役しくじりと同様のご処置なのはどういうわけか、と愚痴っているよし」
新しく召しかかえられた用人によると、先手組頭の前にやった目付も持ち出しの多い職とのこと。堀家はよほどに裕福と見られていたらしい。
堀帯刀を調べていて、役人は裕福なふりをしてはいけないとつくづく思った。いや、役人にかぎらない。人からよくおもわれようとおっている仁すべてにあてはまる。
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