羽田弁財天
羽田弁財天
羽田という地名のせいで、いまは国際空港となっているのではあるまいが、雪旦のころは弁財天詣での渡り客がいた。
雪旦の絵に付されているのは[羽田弁財天社]---本の中の画題だから、味もそっけもなくてもかまうことはない。
画中の文は、
この地の眺望もっとも秀美なり。東は滄海漫々として、旭日の房総の山に掛くるあり。南は玉川混々として、清流の冨峰の雪に映ずるあり。西は海老取川を隔て、東海の駅路ありて往来洛繹たり。北は筑波山峨々として、飛雨行雲の気象万千なり。この島より相州三浦・浦賀へは午(うま)に当たりて海路およそ八、九里。南総木更津の湊へは巳(み)に当たりて海路八、九里、南北総の界は卯(う)に当たりて海路十三里ばかりを隔てたり。富峯は酉(とり)の方へ見ゆ。
絵そのものが商品の広重は、そうはいかない。
タイトルも[はねたのわたし弁財天の社]と、渡舟の便利を、クロース・アップした船頭でも訴えている。
まあ、船頭や弁天社とタイアップしていたとはおもわないが。
蛇足だが、空港にのみこまれてしまった社殿は内陸(羽田3丁目)へ遷座、空港地区への弁天橋に名を残しているのみ。
空港敷地にあった赤い鳥居は穴守稲荷社のもの。こちらも稲荷橋に名を遺して遷座。
拡大画像は、↓クリック
| 固定リンク
コメント
広重の絵を見て、弁財天詣でを思い立つという人は、よほどに想像力が強いか信仰心の篤い仁だろう。
あるいは、前に訪れたことがあるか。
この絵から、羽田沖を連想するのは、かなり困難。
投稿: ちゅうすけ | 2006.11.12 16:38
広重の絵の船頭の足、1本? それとも2本そろえている? まさかね。
投稿: ちゅうすけ | 2006.11.13 02:41