佐野与八郎政信
鬼平(平蔵宣以 のぶため)の父の長谷川家7代目当主・平蔵宣雄(のぶお)は、歴代当主が両番(武官系 小姓組番士と書院番士)でもヒラのまま終わっていたのに、突然のように役付きに引き上げられた理由を推理している。
ところが、2007年6月3日の[田中城の攻防(3)]に、若き日の佐野与八郎政親を登場させたところ、熱心な鬼平ファンの〔みやこのお豊〕さんから、
>佐野与八郎は、2006年6月12日[現代語訳『江戸時代制度の>研究』火附盗賊改(1)]に登場した佐野与八郎政信と関係があ>りますか?
質問のコメントをいただいた。
『江戸時代制度の研究』は、幕府最後の陸軍総監だった松平太郎の息で同名の松平太郎氏の一大労作であり、池波さんも『鬼平犯科帳』文庫巻3に引用して、愛読書の一つであることを、期せずしてもらしている。
1年前に掲載した『江戸時代制度の研究』の[現代語訳]は、上記のリンクずみを意味するオレンジ色のタイトルをクリックしてご再読願うとして、佐野政信に触れられた数行を転記すると、
3年後の元禄15年(1702)4月、ふたたび、盗賊改メを置き、先手頭の徳山五兵衛重俊を任じた。
ついで翌16年11月、佐野与八郎政信に火附改メを命じた。
このブログは、いまのところ、エンドレスの予定である。
ニフティ・ココログからは2GBのスペースを与えられているが、2004年12月20日に立ち上げてから、2年半、ほとんど1日も休まずに書きつづけてやっと88.1445MB(4.41%)を消化したにすぎない。
1日に原稿用紙3枚分として、3,000枚超。
聖典『鬼平『犯科帳』は文庫24巻。1巻280ページ平均として、旧版の1ページは42字18行で756マス目。
1巻あたり約300枚。その24倍で7200枚とみなすと、なんと、このブログ、聖典の40%強も考究(?)。
ということは、『鬼平『犯科帳』および長谷川平蔵宣以に関する、世界一長大な探索記録といえそう。
ま、きょうから2,3日、脇道にそれても、許していただけようか。
上記、〔みやこのお豊〕さんへのレスは、
》すごい検索バワー!
》佐野与八郎政信の曾孫が佐野与八郎(政親)です。
》ぼく自身、そのことに気づきませんでした。
翌朝、宣雄は出仕前に息・銕三郎を呼び、仕事をいいつけた。
「祖父どのに一筆したためていただき、麻布百姓町の長倉どのの屋敷へ参上して、武鑑を写して参れ」
祖父どのとは、病気がちで、いまは宣雄が養生させている、宣雄の実父・宣有(のぶあり)のことである。銕三郎には祖父にあたる。
宣有の次兄・正重(まさしげ)の実母は永倉家(稟米300俵)の女で、正重が末期養子に入った。もっとも、正重もその嫡子の正安(まさやす)もいまは亡く、これまた末期養子の23歳の正尚(まさなお)が出仕の命がおりるのを待っている。
宣雄が永倉家の武鑑lに目をつけたのは、この家は同朋(どうぼう 営内の茶坊主)頭の家柄ゆえである。柳営に登城している大名・幕臣の家格・家筋を暗記していないと、同朋頭は勤まらない。
「元禄のころからでよい。目当ては、佐野という1100石の旗本。佐野家は少なくはない。写すのは、名が政治の〔政〕ではじまっている仁だけでよい」
その夕、宣雄が下城して着替えをしていると、さっそくに銕三郎があらわれ、
「父上。みごと、写して参りました」
奉書紙1枚をさしだした。
佐野与八郎調べ
延宝元年(1672)
大御番頭
五千こく
田中大隅守殿
とら御門之外
佐野与八郎殿
(注:これは、佐野与八郎が番頭・田中大隅守の大番組の組(与)頭ということであろう。田中組は12番組)。
元禄16年(1703)
惣御鉄砲頭
父与八郎 佐野与八郎
与力十キ 同心五十人
千百石
△二番丁
とだけ、13歳の男の子らしく稚拙さがまだ残っている運筆で写されていた。
「なんだ、これだけか。ほかにはなかったのか」
「いいえ、御座いました。ただ、ここまで写しましたら、八ツ半(午後3時)になりましたので、お父上のご帰宅に間にあうよう、いそぎ戻って参りました。麻布は坂が多く、永倉どのからわが家までは、1里半(6km)ほども御座いますれば、片道1刻(2時間)ほど要します」
「明日、もう一度、行ってまいれ」
「承知。明日は、六ツ半(午前7時)に出発いたしますから、じゅうぶんに写せましょう」
宣雄は苦笑しながら、
「運筆も、だいぶんに上達したようだの」
注:図版は『大武鑑l』から。
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コメント
昨日は静岡鬼平クラスの江戸ウオーキングで大強行軍でお疲れのところを余分な質問をしてしまったようですね。
佐野与八郎正信はまだ盗賊火付け両役が別々の時の火付け改めでしたので、
>この日に会った佐野青年が、40数年後に、銕三郎---その時は長谷川平蔵宣以(のぶため)で、火盗改メの本役---を助けることになるとは、宣雄は知るよしもなかった。<
どんな関係かなと好奇心が湧いたものですから・・・
投稿: みやこのお豊 | 2007.06.05 00:18
>みやこのお豊さん
けっきょく、この世は、人と人の出会いと、そのもつれが織りなす不思議な模様ですから、長谷川平蔵---宣雄(のぶお)、宣以(のぶため)、宣義(のぶのり)のそれを探索しているだけなのですが。
投稿: ち | 2007.06.05 03:50