平蔵の五分(ごぶ)目紙(3)
「そういえば、源内(げんない 平賀)は、こんなことも申していたな」
側衆・田沼主殿頭意次(おきつぐ 44歳 相良藩主 1万石)は、場所が自分の下屋敷であること、集まっているのが気のゆるせる者たちであるせいだろう、いつもの酒量よりすごしたかして、口がなめらかだ。
「機略(きりゃく 発明)は、無から生まれるものではない---すでにあるものの新しい組みあわせによって、別の新しい器用(きよう 働き)が生まれるのだと」
「殿のいまのお言葉を、長谷川どのの〔五番手の碁盤目紙〕にあてはめますと、紙裁(だ)ち用の目安(めやす)紙と、清(しん)国渡りの書箋(しょせん)を新しく組み合わせた、ということでしょうか」
横田和泉守準松(のりまつ 29歳 西丸小姓 5500石)が、わかりきったなぞりをしてみせる。北京の文房四宝の有名店・栄宝斎の朱色罫入りの書箋を築地の屋敷に備えていることを匂わせたかったのだ。
「長谷川どのの〔平蔵の五分(ごぶ)目紙は、いまご覧になったものとは別に、もう一つございます」
ここぞとばかりに、本多采女紀品(のりただ 48歳 小十人組の頭 2000石)が同僚の平蔵宣雄の売り込みをはかる。
「ほう---どのような?」
勘定奉行(3000石高)の石谷(いしがや)淡路守清昌(きよまさ 48歳 500石)が鷹揚に受けた。
宣雄は、仕方なく、懐から取り出した手控え帳から小ぶりの碁盤目紙を引き抜いて、石谷淡路守に渡した。
その手控え帳は、30枚ほどの和紙を二つ折りにし、合わさった側を表紙ともども和書ふうに綴じたもので、大きさは紙入れほど、厚みは1分(いちぶ 3mm)なかった。
〔碁盤目紙〕は、二つ折りにした紙の間に入っていた。
「長谷川どの。そちらの手控え帳は?」
淡路守が、渡された〔碁盤目紙〕を手に、宣雄の手控え帳に視線を向けた。
「はい。手前のはとりとめもないこころ覚えですが、組衆たちは、それぞれが己れの好みの主題を書きとめております」
「己れの好みといいますと---?」
「ある者は、その日の天候と風向きに寒暑。ある者は、毎日のお菜。またある者は、お城の下馬門脇の樹木のときどきの姿などなど---」
「なんのためでござるかな」
そう訊いたのは意次だった。
「なんのためと申しますより、組衆の気くばりが伸びればと存じまして」
「代わって申し上げます」
本多紀品が口をはさんだ。
「10組ある小十人組は、交替で営中の桧の間へ詰めておりますが、お上(将軍)はもとより、お供をすることもある重職方のご霊廟へのご代参の外出も、そうたびたびはありませぬ。そんなわけで、組の者たちはともすればお勤めがなおざりになりかねませぬ。
それをおもんぱかった長谷川どのの、気分引き締めの観察養いで、効果は十分以上にあがっております。ゆえに手前の6番手でも、望む者には配ろうかと考えております」
意次が口元をほころばせながら言った。
「本多どの。それならば、お急ぎあれ。お勤め変わりがあってからでは、手後れになりましょうぞ」
本多紀品は、はっと気がつき、頭を下げた。
本多采女紀品の、先手・鉄砲(つつ)の16番手組頭(くみがしら)への移動は、それから1ヶ月も経ない、その年の11月7日であった。
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