岸井左馬之助とふさ
「どうした? 左馬さん。食う気がおきないのか?」
手の草餅を、悲しそうな目でじっと眺めている岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)に、食べ終わった銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が不審げに訊いた。
いつもなら、こういう時、真っ先にかぶりつく左馬之助なのである。
草餅は、ついいましがた、道場の隣家で出村町一帯の名主・田坂家の孫むすめ・ふさ(17歳)が、横川べりで話しこんでいる2人のために、わざわざ、持ってきてくれたものである。
ふさは、草餅を手わたすと、余計な口にはきかないで、さっさと屋敷へもどっていった。
左馬がかすかに首をふる。食い気がないわけでないらしい。
「ふさどのの左馬さんに対する好意だ。おれまでご相伴(しようばん)にあずかった」
「ちがう」
「え?」
「ふさどのは、花びらを載っけたほうを銕っつぁんにわたした」
「花びら?」
「草餅に載せてあった」
「気がつかなかったぞ。胃の腑に入ってしまったものは、たしかめようがないが、ほんとうに花びらがついていたのか?」
「ついていたのではない。載せてあったのだ。それを、ふさどのは銕っあんに手わたした。ふさどのは銕っあんが好きなのだ」
「じょ、冗談は、よしてくれ。ふさどのが好意をもっているのは、左馬さんのほうだ」
そういえば、先日、銕三郎が道場の井戸端で、稽古の汗をぬぐっていると、走るようにやってきた左馬が、
「ふさどのが髪を洗っている」
一大事でも告げるように言った。
「天女(てんにょ)じゃあるましい、生身のおんなだ、髪ぐらい洗うさ」
「も、双肌(もろはだ)脱いでだぞ」
(春信『髪すき』部分)
「着物を着たままで髪を洗うおんながどこにいる。ふさどのだって、芋を食えば屁(へ)だってぶっぱなすさ」
そう言ったばっかりに、左馬は口をきいてくれなくなった。
もっとも、4日目には、立会い稽古を催促されたが---。
だいたい、左馬は、17歳の時に下総(しもうさ)・印旛郡(いんばこおり)臼井宿から、同郷の高杉銀平師をたよって上府してき、押上(おしあげ)村・春慶寺の庫裡の離れで独り暮らしをしている。
国許では男兄弟3人で、姉妹はいないまま育ったから、姉妹がはばかりで音を立てていばりをするところなぞにでくわしていない。
いちばん手近な年ごろのむすめというと、田坂家のふさになる。
始末が悪いのは、想像ばかりしているから、ふさを天女ででもあるかのようにあこがれてしまう。
まあ、未体験の若い男性にはありがちなことだが。
「とにかく、花びらのことは、おれは気にもとめていない。ふさどのにしてもそうだとおもう。ここへ運んでくるあいだに、風にのってくっついてしまったに違いない」
「うん」
無理やりに合点したらしく、左馬は草餅を口にした。
「ところで、母上が箱根から帰ってみえた。左馬さんに食事においでとのことだ」
「かたじけない。明日にでも伺う。さいわい、故郷(くにもと)から水蓮の根がとどいている。それを持って行こう」
「わが家に持ってきてくれるのはありがたいが、ふさどのの屋敷へもおすそわけするんだな」
「うん」
「銕っあん。おぬし、ほんとうに、ふさどのに惹(ひ)かれてはいないのだな?」
「左馬さん。考えてもみよ。わが家は、400石とはいえ、かりそめにも直参だぞ。しかも、父上は、先手・弓の組頭(役高1500石)を勤めておる。その世嗣(よつぎ)たるおれが、草分(くさわけ)名主とはいえ、幕臣でもない家のむすめを嫁にできるはずがなかろう?」
「理屈はそうだが---」
「武士に二言(にごん)はないッ!」
「このごろの武士は、値打ちが落ちておるからなあ」
「はっ、ははは」
「はっ、ははは」
【参照】2008年3月24日~[盟友・岸井左馬之助] (1) (2)
2006年9月20日[岸井左馬之助の年譜]
2006年9月21日[左馬之助、鬼平と再会す]
2007年4月1日[『堀部安兵衛』と岸井左馬之助
HP(井戸掘り人のリポート) [岸井左馬之助と春慶寺]
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