〔橘屋〕のお雪(3)
向島を隅田川ぞいに往還をはじめて3日目。
四ッ(午前10時)すぎ。
三囲(みめぐり)稲荷社(現・墨田区向島2丁目5)の社前。
(三囲稲荷社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
向島・七福神の恵比寿と大黒天をまつっている。
江戸時代は、竹屋の渡しが、今戸橋ぎわから往復していた。
社地を白ギツネが3回まわったという伝説が社号となった。
余談をつらねると、社号を「ミツイ」と読み、三井財閥系の日本橋・三越本店の屋上に分祀されている。
「お雪さん。腰はけだるくないかな?」
「だって、左馬さんが飽きないんだもの」
一夜をともにしただけで、お雪(ゆき 23歳)と左馬之助(さまのすけ 23歳)は、親しさがすっかり深まった。
言葉づかいにも軽みがでている。
「腰がけだるいようなら、昼餉(ひるげ)をとったあと、部屋を借りてほぐしてあげようか?」
「それにことよせて、また---はげみたいんでしょ?」
「お雪さんの、せっかくの髪が、くずれなければな」
今朝、お雪は髪結いを呼び、ゆうべ、乱れるだけ乱れた髪を結いあげた。
お雪は返事をひかえた。
「いい」と言ってしまうと、いかにも好きものとおもわれそうだったからである。
出しおしみは、おんなの手管の一つでもある。
しかし、躰は返事をしたがっていた。
ゆうべは、堪能するほど数をこなしたのに。
いちど堰が切れると、やはり、躰の芯がとめどなく欲しがる。
話題を変えた。
「三囲さんへ、お参りしていきませんか? 日に何度も前をお通りして、まだ、お賽銭をあげていないんですもの」
「若い美女が詣でると、白ギツネが憑(つ)くといわれているが、いいのかな」
「憑いたら、左馬さんに木の葉を小判にしてさしあげます」
「小判よりも、白い裸身のほうがありがたい」
「うふ、ふふふふ。すぐにそこへ結びいてしまうのね」
「あは、ははは」
他愛もない会話で遊びながら、鳥居をくぐったお雪が、左馬之助の袖を引いて、絵馬堂の蔭に身をかくした。
「どうした?」
「拝殿でしゃがんで拝んでい.る人、お勝さんみたい---」
「えっ?」
【参照】〔お勝(かつ)〕というおんな] (1) (2) (3) (4)
そっとのぞき、声をひそめ、
「あのおんなか?」
「そうです。この近くにあった料亭は?」
「境内の北に〔平岩〕があるが---東へ帰ったら、〔武蔵屋〕と〔大七〕」
(三囲稲荷社の北隣りの料亭〔平岩〕 『買物独案内』)
(秋葉権現脇の庵崎の料亭〔武蔵屋〕 同上 文政7年(1824)刊)
(向島の西区域 庵崎の〔大七〕〔武蔵屋〕、三囲稲荷北の〔平岩〕、諏訪明神脇〔大村〕=ただし、ここだけは小説中のり料亭)
「東は秋葉権現さん(現・秋葉神社 墨田区向島4丁目9)でしたね」
「千代世(ちよせ)稲荷も---あのあたりの料亭は、鯉が有名だよ。そうだ、きょうの昼餉は、あそこにしよう」
「のんきなこと、おっしゃってないで---立って、横顔が見えたら教えて。お勝さんが秋葉さんのほうへ帰ったら、危なくて、鯉どころではないでしょ」
「そう、お雪さんは料理茶屋〔橘屋〕で、料理は見飽きているんだったな」
やはり、お勝(かつ 27歳)であった。
陽光の下でみると、年増は年増である。
しかし、左馬之助は感想を口にしなかった。
ゆうべ、お雪が、ここ1年ほどのあいだに腹部ににうっすらあらわれたといって、新月のように細い浅い線を気にしていたからである。
尾行(つ)けると、お勝は〔平岩〕の裏口へはいった。
「鯉の洗い、これで、決まりましたね」
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻20[高萩の捨五郎]で、鬼平が彦十をつれて秋葉大権現の裏門の〔万常〕で鯉の洗いを食べていて、〔高萩(たかはぎ〕の捨五郎を見つける。p176 新装版p182
(秋葉大権現の隣地の庵崎 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ
キャション 俗間、請地秋葉権現の辺(あたり)をしか唱ふれども定かならず。須崎より請地秋葉の近傍(ちかく)までの間、酒肉店(りょうりや)多くおのおの籞(いけす)をかまへ鯉魚(こい)を畜(か)ふ。酒客おほくここに宴飲す。中にも葛西太郎といへるは、葛西三郎清重の遠裔といひ伝ふれども是非をしらず。むさしやといふは、昔麦飯ばかりを売りたりしかば、麦計(むぎばかり)といふここにて麦斗(ばくと)と唱へたりしも、いまはむさしやとのみよびて、麦斗と号せしをしる人まれになりぬ)
「これじゃあ、もう、木母(もくぼ)寺くんだりまで行くことはなくなりました。よかった」
「ちょっと早いけど、〔大七〕か、あのあたりで生簀(いけす)をしつらえている料理茶屋で、鯉の洗いで午餐(ひる)をすませて、春慶寺へ帰ろう」
「ごほうびですね」
「秋葉さんから春慶寺へは、10丁(ほぼ1km)もないし、腰がけだるければ、舟という手もある」
「権現さんから舟?」
「曳き舟の水路だからね」
「おもしろそう。雑司ヶ谷あたりでは考えられません」
「屋形舟はないから、下腹のひだるさ(空腹)をいやすのは、部屋へ帰ってからに---」
「左馬さんのほうこそ、辛抱できます?」
捜しものが片づいたせいか、躰がしりあったためか、2人とも軽口が一層はずみじめた。
「長谷川さまには、お勝さんを見つけたことは、しばらく、黙っておきましょうね」
「そうしないと、お雪さんが雑司ヶ谷へ帰ってしまうからな。それにしても、銕っつぁんの勘ばたらきはすばらしい」
「昨夜のことも、もう、感ずかれているかも---」
「感づかれると、困るのかな?」
「いいえ。ちっとも。長谷川さまには、練達のお姉(あね)さんがついていらっしゃいますから---」
「おお、そっちの話も聞きたいな」
親しさが一気にすすむのはいいが、別れの時がきたら、どうなることやら。
いや、左馬之助もお雪の宿直(とのい)の夜、雑司ヶ谷へ足を運ぶことになるやもしれない。
押上(おしあげ)から鬼子母神(きしもじん)だと、片道2里(8km)近くはありそう。
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コメント
おととい、17日の鬼平のテレビ見ました。出演の皆さん、お元気にお年お召していっらしゃるので安心しました。
弥太郎一味が、大晦日にあちこちに放火して火盗改めの目をごまかす台本、このブログの蓑火一味とそっくりなので、驚きました。
これは、ちゅすけさんをほめるべきなんですね。
投稿: kayo | 2008.10.19 06:13
>kayo さん
原作では〔駒止〕の喜太郎一味のお務(つと)めですが、テレビではたしかに弥太郎と聞こえました。kayoさんの耳にも、弥太郎でしたか。
原作の[引き込み女〕を2時間近い劇にするには、いろいろとふくらませないとならないのは分かりますが、無理がずいぶん目立ちましたね。
それと、気になったのは、冬場にはもう一組、火盗改メの助役(すけやく)がつく史実が、まったく抜けていました。
夏場なら、助役のことは配慮しなくてもいいのですが、ああ派手に放火がでると、助役組との分担ということもありますしね。
でも、おっしゃるとおり、久しぶりの鬼平との対面で、作劇のことは別にして、堪能とました。
投稿: ちゅうすけ | 2008.10.19 08:47