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2008.12.23

銕三郎、一番勝負(3)

長谷川先輩、どうなさったのですか? 羽織の袂(たもと)---」
入ってきた銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)を認めるなり、井関録之助(ろくのりすけ 19歳)が問いかけた。
「む。かわしそこねてな」
「かわしそこねたって---どこで?」
法恩寺橋での襲撃の顛末を手短く話し、
「おどのに、用があって参った」

(もと 32歳)は、北本所・中ノ郷瓦町の瓦焼き職人のむすめで、父と同じ瓦師に嫁(とつ)いだ。

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(中ノ郷の瓦師 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

嫁いで3年もたたないときの瓦焼き小屋の火事で、消火にあたっていた夫が、くずれ落ちた屋根の下敷きとなり、その大火傷がもとで死んだ。
は精神的な衝撃で流産し、赤子だった鶴吉(つるきち 7歳=現在)の乳母となった。
鶴吉は、日本橋・室町の茶問屋〔万屋〕の主人・源右衛門(げんえもん 40歳=当時)が女中・おみつ(19歳=当時)に産ませた子である。
源右衛門は、手代からの入り婿で、家つきのお(さい 35歳=当時)に頭があがらない。
みつは、小梅村のこの寮で怪死した。

の情夫(まぶ)のような、鶴吉の用心棒のような形で、録之助が同居している。

「え? 嫁いだ初夜のことですか? なにしろ、11年も前のことですから---」
は、ちらりと録之助を見た。
鶴吉は、別の部屋で手習いのおさらいをしている。

「おれはかまわない---というより、聞いてみたいよ」
さまがそういうことでしたら---」

職人の家同士なので、挙式もなにもあったものではなかった。
花婿(ということばもふさわしくない)の家へ、同じ仕事場の瓦師たちが集まり、祝いの酒宴をひらいてくれた。
宴がはてたあと、酒器やら皿らを流しに運んでいるお元に、赤い顔をして寝床へ転がっていた段平(だんぺえ)が、
「ほうっておいて、さっさと来い」
寝衣に着替えて横に入ると、いきさなりはがされた。
「うれしいよ」
といいざま、上むきされ、乗られ、股がおしひらかれ、あっというまに熱いものが---。

「証(あかし)の血は出ませんでしたが、いきなりだったから、むこうが動かすたびに、ひりひりと痛いことは痛かった」
「ほう---」
録之助のため息。
さまとのように、手間をかけてからじゃ、なかったんですよ」
途端に、録之助がてれる。

「証(あかし)のものがなかったので、それからずっと、たびごとに、責められました。生むすめじゃなかったなって---。でも、母親に訊いたら、母親もそうだったって。幼いころから、瓦運びやら薪運びやらで、気張って重いものを運んでいる瓦師の家のむすめは、たいてい、証(あかし)が出ないらしいのです」
「そんなものを、ありがたがる男のほうがどうかしている」
録之助がいたわった。

(ここも、手本にはならない)
あきらめたところに、
長谷川先輩、抜き身の斬りあいの感じはどうだったですか?」
「考えるまなど、ありはしない。躰が、稽古のとおりに反応するだけだ。振り棒で鍛えているおかげて、腕の力はついている。敵の太刀をはねかえすのは造作もなかったが、足の鍛え方が足りなかった」
「あれ? 先輩は足は鍛えているほうじゃなかったですか?」
「む?」
「ほら、お(なか 34歳)さんとやらと---」
「馬鹿ッ。とはちがう。たちは連夜だろう」

さま。冗談がすぎましたですよ」
さすがに年配、おが赤くなりながらもたしなめた。

参照】2008年8月22日[若き日の井関録之助] (1)

は、銕三郎に言われた、自分たちの甘美な夜を思い出していたのである。

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(湖竜斎『柳の風』部分 録之助とお元の甘美な夜のイメージ)


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