明和6年(1769)の銕三郎
「長谷川先輩。使いの者が参っております」
寒稽古中の銕三郎(てつさぶろう 明けて24歳)へ取りついだのは、弟のように面倒をみてやっている滝口丈助(じょうすけ 15歳)であった。
【ちゅうすけ注】滝口丈助という高杉道場の同門者は、『鬼平犯科帳』巻18[おれの弟]に登場する。
30俵2人扶持の貧しい御家人の次男に生まれ、家督することはできないので、将来は剣客として生きていくか、どこかへ養子に入るしかない。
14歳の夏に入門して、剣客の道を選んだ。
長谷川銕三郎との年齢差は、原作に書かれたとおりだと、10数歳ほども離れていないと辻褄があわない---というのは、史実の平蔵宣以(のぶため)は、寛政7年(1795)年に50歳で病没している。
したがって、明和6年には24歳。
ファンの夢をこわすようなバラしだが、平蔵が病没した寛政7年の初夏の物語は、文庫巻12[密偵たちの宴]なのである。
それ以降の物語では、鬼平は齢をとるわけにはいかない。つねに50歳。
[おれの弟]に、丈助は40歳に近い---とある。
その差を11~12歳とすると、明和6年の丈助は、12歳ほどにしなければ平仄(ひょうそく)があわなくなるが、えいっと、目をつぶって15歳に加齢させた。
この厳寒の中、汗を拭きふき出てみると、浅草の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 60歳)のところの顔見知りの若い者・才蔵(さいぞう 18歳)であった。
井関録之助(ろくのすけ 20歳)に振り棒の遣い方を習っている。
「なにごとかな?」
「小浪姐ごから言(こと)づけでやす」
小浪(こなみ 30歳)は、お厩河岸の渡舟場の前で茶店をやっている、〔木賊〕の林造元締の囲いおんなである。(歌麿 小浪のイメージ)
「ほう?」
「お手がすいたら、お越しいただきてぇと---」
「小浪どのが?」
「いえ---」
「今助?」
「そうじゃあねえんで。おりょう(竜)ってすかした年増(すけ)から発した言(こと)づけなんでやす」
「ご苦労であった。あと、2,3合、手合わせをすませたら参ると伝えておいてもらいたい」
(お竜どの、なに用であろう?)
自身が現われては、道場での銕三郎の立場がおかしくになるとおもんぱかってのことではあろうが---。(歌麿 お竜のイメージ)
【ちゅうすけ手控え】高杉道場の同門者
[1-2 本所・桜屋敷] 岸井左馬之助 谷五郎七
[3-6 むかしの男] 大橋与兵衛(久栄の父親)。
[5-2 乞食坊主] 井関録之助
菅野伊助
[7-5 泥鰌の和助始末] 松岡重兵衛(剣客。道場の食客。50歳前後)。
[8-3 明神の次郎吉] 春慶寺の和尚=宗円
[8-6 あきらめきれずに] 小野田治平(多摩郡布田の郷士の三男。
不伝流の居合術)
[12-2高杉道場三羽烏] 長沼又兵衛 盗賊の首領。
[14-1 あごひげの三十両] 先輩:野崎勘兵衛。
[14-4 浮世の顔] 小野田武吉(鳥羽3万石の家臣)
御家人:八木勘左衛門(50石取り。麻布・狸穴に住む)
[15-1 赤い空]p37 堀本伯道(師:高杉銀平の試合相手)
[15-2 剣客医者] 〃
[16-6 霜夜] 池田又四郎(兄は 200石の旗本)。行方知れずに
[18-5 おれの弟]p171 滝口丈助
[20-3 顔] 井上惣助
[20-6 助太刀]p222 横川甚助(上総・関宿の浪人)
裏庭の井戸で、双肌(もろはだ)ぬぎなになって躰を拭いた。
お竜に逢うのに、汗くさい匂いは、なぜか、憚(はばか)られた。
わざと、ゆっくり、入念に汗をぬぐう。
井戸水が暖かく感じられ、寒気の中、肌にこころよい。
大川をを横切るお厩河岸の渡しの、本所川の舟着きは、入り堀に架かっている石原橋北詰である。
舟がでるぎりぎりまで、何気ないそぶりで尾行(つ)けている者がいるかどうか、影をさがす。
跳び乗る。
ぐらりときた舟のゆれに悲鳴もあがったが、武家姿の銕三郎に、文句をつける乗客はいなかった。
(そういえば、屋根舟からこっち、お竜どのにはごぶさたであったな)
ずいぶん長く逢っていないようにおもえた。
久栄との婚儀の話がすすんでいて、つい、忘れていたともいえる。
(久栄との婚前の旅の企ては、小浪から筒抜けになっていることであろうな)
〔中畑(なかばたけ)〕のお竜は、茶店〔小浪〕に、ひとりきりで待っていた。
連れ立って歩くこともかんがえて、武家の内儀ふうに、揚げ帽子をかぶっている。
茶を運んできた小浪が、
「内密のお話なんでしょう? 家の鍵をお貸しします」
目で笑いながら、鍵をお竜に渡す。
お竜が先に立って蔵前通りをわたり、框(かや)寺(現・台東区蔵前3丁目22)の裏手の仕舞(しもう)た屋の錠をあけた。
(左:石清水八幡宮 右:正覚寺--通称・榧寺
『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
ふり返り、銕三郎をうながした。
お竜は意識していないだろうが、銕三郎には、その料(しな)がぞくっとするほど艶(いろ)っぽくおもえた。
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