銕三郎、掛川で(2)
「長谷川どの。すっかり戸締りしていた〔京(みやこ)屋〕へ、賊はどうやって入ったのですか? 二階の格子をすりぬけたとか---」
矢野弥四郎(やしろう 35歳 駿府町奉行所同心)が銕三郎に話しかけている。
中町に店がある小間物の〔京屋〕は、奉行所からものの2丁と離れてはいない。
「戸締りを確かめてみないと、なんとも---」
「ごもっとも、ごもっとも」
矢野同心は、口ではそう言ったものの、内心では、銕三郎が密室の謎をどう解くか、興味津々(しんしん)である。
自分が町奉行所の捕り方の同心であることを忘れているようであった。
〔京屋〕へ着くと、先に帰されていた店主・新兵衛(しんべえ 52歳)と番頭・卯蔵(うぞう 46歳)が店先まで迎えに出てきた。
新兵衛が、
「粗茶でも---」
と言うのを、のちほど、と謝した銕三郎が、
「番頭どの。勝手口へ通じている猫道がありましょう? ご案内ください」
卯蔵の導きで、躰をななめにしがら通りぬけて、勝手口の板戸の前でじっとみつめていた銕三郎が、左隅のある箇所を指でこそげた。
土の粉が落ちたあとに、小蟻が通れるほどの小穴が見えた。
「これは?」
銕三郎が、番頭に訊いた。
「さあ、はじめて目にしました。いつできたものか---」
「厠(はばかり)を借りた男があけたのですよ」
「えっ? なんのために?」
「内側の落とし桟をあげるためです」
「こんな小さな穴で?」
銕三郎が説明した。
穴から糸を通した針を内側にむけて落とす。
針が落ちたところは、落とし桟木が落ちる凹になっている。
針をとりあげ、糸を切ると2本の糸が外と内をむすぶ。
内がわの2本の糸を開きぎみにして、凹の側面に続飯(そくい)でとめる。
桟木が落ちても、外の糸をひけば桟木はあげられる。
ふつうは、落ちた桟木に横から三角桟木をかませて固定するのだが、この家のは、そこまで用心していない。
「いや、〔京屋〕さんの手落ちではありませぬ。三角桟木がかませてあったら、賊は、板戸を切りあけて桟木をはずしたでしょう。駿府の〔五条屋〕でやったように---」
銕三郎は、矢野同心の顔をみた。
矢野同心がうなずいたので、番頭の卯蔵は、救われたといった表情になって緊張を解き、
「お役人さま。いまのお言葉を、主人とご新造にも聞かせていただけませんか」
真顔になって頼んだ。
奥の部屋へ案内されながら、銕三郎が矢野同心へそっとささやく。
「桟木やぶりの仕掛けは、矢野どのからご説明くださいませぬか」
帰りぎわに、番頭が奉書につつんだものを、矢野と銕三郎に、それぞれ手渡した。
「ありがとうございました。これで、お店(たな)の中には、賊に内応した者がいなかったことが分明いたしました。これまで、疑心暗鬼(ぎしんあんき)で、鬱陶しゅうなっておりましたのが、いっきに晴れわたりましてございます。ほんのお礼の気持ちで---」
宿で改めると、鼈甲に象嵌細工をほどこした高価な飾り櫛であった。
(はて。久栄どのへの土産はこれでできたが、母上へのほうはなんとしたものか)
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