« 化粧(けわい)指南師のお勝(9) | トップページ | 備中守宣雄、着任(2) »

2009.09.02

備中守宣雄、着任

明和9年(1772)11月11日の四ッ(午前10時)---京都町奉行の目付方・与力の浦部源六郎(げんろくろう 50歳)ほか1名、同心3名、小者6名が、京洛への東の入り口・粟田口手前---蹴上(けあげ)まで出迎えてにでていた。

ちゅうすけ注】明和9年が安永元年とあらたまったのは、11月25日である。
江戸市民のあいだでは、この改元を茶化した、年号は安く永くとかはれども諸色高くて今に明和九(めいわく)---との落首がささやかれていた。

新任の西町奉行・長谷川備中守宣雄(のぶお 54歳)の一行が、今朝五ッ(8時)前に大津の脇本陣を発ったことは、大津まで出張っていた小人(こびと)目付が先に戻ってきて浦部与力に伝えている。

馬をおりて出迎えの礼を述べた備中守の、口調はしっかりしていたが顔色が冴えないのが、浦部与力は気になった。
(山城国特有の寒風のせいかも---)

銕三郎はまえまえから、役宅で待つことにきめていた。

宣雄が、白川橋の手前で、浦部らに、寸時、旅籠〔津国屋〕為吉と久闊(きゅうかつ)を叙し、かつ、銕三郎が世話になったことを謝していきたいと断わり、一行の足をとめたとき、
(気くばりが篤いこと、聞きしにまさるお奉行だな)
好意をもった。
銕三郎の行状については、ことさらに告げないほうがよさそうだ)
とも断定したという。

役宅で対面した銕三郎も、父・宣雄の顔色がすぐれないのは、長旅の疲れのせいかも---とおもったが、夜、久栄(ひさえ 20歳)から、駿府をすぎたあたりから、ときどき脇腹をなでることが多くなったようだと聞き、
(もしかしたら---)
医者の手配のことを、こっそりと浦部与力に頼んでおいた。

久しぶりの銕三郎に接した辰蔵(たつぞう 3歳)が興奮して寝つかないため、その夜、寝化粧の久栄が横にはいってきたのは、四ッ半(午後11時)をまわっていた。

辰蔵の躾(しつけ)が行きとどかず、申しわけございませぬ」
「疲れているのではないか? 明日の夜でもいいのだぞ」
「いいえ。50夜も一人寝をおさせしておりますゆえ、私の疲れなど---」
「無理をいたすな」
「ぜひにも、いたしとうございます。お隣の松田於千華(ちか 37歳)さまから、ひさびさのときのこなし方その1、その2を教わってまいっております。今宵は、その1を---」

参照】2009年6月10日~[宣雄、火盗改メ拝命] () (
2009年7月3日[目黒・行人坂の大火と長谷川組] (

「その1は、拙がほかの女性(にょしょう)に精をほどこしたか否かを試す技戯であろう?」
「ほ、ほほ。身におぼえがございますような?」

_360_5
(清長 睦み)

「は、はは。馬鹿をいうておる場合でなかろうが---」
(性的不満の於千華どのの目、京までひそんできておるわ)


[備中守宣雄、着任] () () () () () 

|

« 化粧(けわい)指南師のお勝(9) | トップページ | 備中守宣雄、着任(2) »

003長谷川備中守宣雄」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 化粧(けわい)指南師のお勝(9) | トップページ | 備中守宣雄、着任(2) »