京都町奉行・備中守宣雄の死(6)
京都町奉行の交替の期間差を調べることで、幕閣の動き方や幕府枢要・所司代間の連絡などがのぞけたらとおもい、長谷川備中守宣雄(のぶお 享年55歳)から10人ほど前の京・町奉行の任免の年月日を『柳営補任』でたしかめている。
メモのつもりでおつきあいいただければ幸い。
きょうは、東町奉行---。
山口安房守直重(なおしげ 2000石)
正徳3年(1713)2月29日(64歳)禁裏付ヨリ
享保6年(1721)正月22日辞(72歳)
河野勘右衛門通重(みちしげ 豊前守 500石)
享保6年(1721)2月15日(70歳)佐渡奉行ヨリ
500石加増
享保9年(1724)12月18日卒(73歳)
小浜六之助久隆(ひさたか 志摩守 900石)
享保10年(1724)1月18日(50歳)佐渡奉行ヨリ
【ちゅうすけ注】『柳営補任』は享保9年としていたが、訂正しておいた。
享保12年(1727)9月8日卒(56歳)
永田三右衛門元隣(もとちか 越中守 680石)
享保12年(1727)10月22日(50歳)御目付ヨリ
300石加増
享保17年(1732)3月1日(55歳)小普請奉行
向井兵庫政暉(まさてる 伊賀守 900石)
享保17年(1732)3月1日(49歳)先手組頭加役ヨリ
元文4年(1739)7月2日卒(56歳)
馬場宮内尚繁(なおしげ 讃岐守 2000石)
元文4年(1739)7月19日(43歳)先手組頭加役ヨリ
延享3年(1746)7月21日(50歳)町奉行
永井監物尚方(なおかた )
延享3年(1746)7月22日(44歳)小普請支配ヨリ
宝暦2年(1752)d)正月11日(50歳)勘定奉行
土屋長三郎正方(まつかた 越前守 700石)
宝暦2年(1752)2月15日(57歳)駿府町奉行ヨリ
同 3年(1753)12月24日(58歳)町奉行
小林甚五左衛門春郷(はるさと 伊予守 400石)
宝暦3年(1753)12月24日(57歳)町奉行ヨリ
明和3年(1766)9月12日普請奉行(70歳)
石河庄九郎政武(まつたけ 土佐守 2700石)
明和3年(1766)9月12日(43歳)御目付ヨリ
同 7年(1770)閏6月3日(47歳)持弓頭
酒井善左衛門忠高(ただたか 丹波守 1000石)
明和7年(1770)閏6月3日(61歳)奈良奉行ヨリ
在府の現職が京都へ赴任すばあいは、期間差がみじかいのかと予想していたが、それもみごとにはずれた。
前例を大事にすると諸書にあるが、そういうものでもないみたいだ。
【ちゅうすけのつぶやき】年齢の割り出しに時間をとられる。
これが安永以前だから、9割9分の人が没しているので、没年から数え齢が逆算できるが、平蔵宣以と同世代の幕臣だし、『寛政譜』ではまだ生存している確率が5割前後だから、こういう年齢つきのリストりの作成は困難をきわめる。
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