勘定見習・山田銀四郎善行(4)
「鍋をつつくまえに、魚沼郡(うおぬまこおり)のほうの長森村字(あざ)暮坪(くれつぼ)は放念したほうがよい---と申されたな」
食事のあとの茶を喫しながら、平蔵(へいぞう 33歳)が、話題を本筋へ戻した。
勘定見習い・山田銀四郎善行(よしゆき 36歳 150俵)は、湯呑みを置いて姿勢をただし、
「山師と申しておるその男、蒲原郡(かんばらこおり)の暮坪の出にまちがいありませぬ」
「なぜ、言いきれるかの?」
平蔵が瞶(みつ)めたのを、きっと見返し、
「早出(はいで)川ぞいの暮坪は、貧しい村で、戸数は20戸に満ちませぬ。村人も100人を大きく割りこんでおります。表向きの村高は67石余と記されてはいても、半分は炭焼きや山うさぎの代価などを換算してのこと---」
(早出(はいで)川ぞいの緑○=暮坪の小里 赤○=村松藩庁)
「1戸あたりでは、正味で2石に満たぬな?」
「はい。引きかえ、長森村の字暮坪のほうは、1戸あたり6石近くになります。勘定奉行所の者の目からしますと、生活(たつき)のくるしさゆえの棄村は、早出川の暮坪の小里の若者のほうと見ますのが当然かと---」
「うむ。大きに理のあるところ」
もっとも平蔵は、盗賊の世界に身を沈める若者が、生活の困窮だけではなことは、百もわかっていた。
しかし、この場では、銀四郎の説に異をとなえず、すんなりとうなずいておいた。
銀四郎が、勘定奉行・石谷(いしがや)淡路守清昌(きよまさ 64歳 2500石)に報告しやすいようにしおいてやるためであった。
:渓谷ぞいの小里・暮坪育ちの伊佐蔵(いさぞう 26,7歳)は、山師とはいいながら、父親が猟師も兼ねていたように聞いたおぼえがある。
当人も鉄砲で猪(いのしし)や熊を射ったろう。
危険と隣りあわせの気分の昂まりが、盗みをうまくしてのけた興奮と似ていないともかぎらない。
道場での試合に、5,6合も撃ちあっているうち、つい、相手を必殺の敵と見てしまい、稽古であることを忘れて意地なることも、剣士として経験していた。
二ッ目の橋をわたったり、竪(たて)川ぞいに左へ折れ、最初の枝道で弥勒寺裏へ帰るという銀四郎と別れた。
「辰蔵(たつぞう 9歳)さまの儀は、服部の実母から、お屋敷のほうへあつさつをさせます。その節は、わが豚児・益弥(ますや 8歳)もご相伴させていただきます」
別れぎわに、律儀に約してくれた。
暗い土手道を東へ歩みながら平蔵は、勘定奉行所によい知己ができたことをよろこんでいた。
役人として、あらゆる部署に知己・盟友をつくっておくにしくはない。
銀四郎の実母の息・服部造酒次郎保好(やすよし)も、律儀で能吏のようであった。
その家へ通うことは、長谷川家とは異なる家風の幕臣の家があることを、辰蔵が学ぶであろう。
益蔵という、もしかしたら一生の友人の一人をえることになるやもしれない。
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コメント
勘定奉行所から地方の情報をとるということは、奉行所の下役を密偵代わりに使うということでもありますから、平蔵さん、うまいテを思いつきました。
繁華地の元締たちも味方につけてしまっています。
次ぎは、町奉行所の配下の十手持ちでしょうか。しかし、これはお金がかりそう。
その資金源をどう手当てしますか。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.11.03 05:52
>左兵衛佐 さん
聖典にも、巻1[本所・桜屋敷]p69 新装p73でも日本橋・鉄砲町の文次郎、
巻13[殺しの波紋]で深川・中島町の勝平p74 新装p76
巻14[浮世の顔]の巣鴨・枡形横丁の伊三郎p151 新装p155など、あの人この人とでてきますから、ブログでも手をつくしてみましょう。
投稿: ちゅうすけ | 2010.11.03 12:00