医師・多紀(たき)元簡(もとやす)(6)
「多紀うじ---}
平蔵(へいぞう 35歳)の呼びかけに、安長(やすなが)元簡(もとやす 26歳)が提案した。
「長谷川さま。これからは、安長(やすなが)と呼びすてにしてください」
「では、安(やっ)さん---ということに。そのかわり、おれのことも平(へい)さんでとおしてくれ。おれを[平さん]と呼べるのは、安っさんが3人目だ」
「かたじけのう---」
嬉しげな元簡の謝辞であった。
「閨房での好女(こうじょ)---好ましいおんな---はわかった。その、好女になる手順も『房内篇』に書かれておるのかね?」
元簡によると、[第ニ十六章 養薬石]に、男性の精力増強薬のこと、、[第ニ十七章 陽茎小]は、小さい太陽物を増長させる薬にあてられており、使いすぎや経産でゆるんだ女性の玉門(膣口)をすぼめる薬のつくり方などが述べられているとも。
「はっ、ははは。すぼめる薬まであるとは---」
平蔵がおもわず嘆声をあげてしまい、店の小女が聞き耳をたてているのに気づいた。
鬢(びん)をかき、
「肌の肌理(きめ)を細かくする薬は---?」
小女がわざとのように茶を淹(い)れかえにやってき、ゆっくりした動作で、元簡の言葉を待った。
平蔵が目顔で応えをうながした。
「そのことは『第二十六巻 仙道篇』に、いろいろ、あります」
小女はがっかりし、離れた。
「おもしろい。その『仙道篇』は、まさか、盗られてはおるまいな」
「あ奴らが狙ったのは、『房内篇』だけでした、『仙道篇』と『第四巻 美容篇』の写本は書庫蔵にしまってありました」
「『美容篇』---?」
「はい。ニキビやシミ・ソバカスを消し方などの美容一般が説かれております}
平蔵は、[化粧(けわい)読みうり]のことを話し、『美容篇』から若いおんなが喜びそうな知識を適当に選んで書きとめられないか。まとめは〔耳より〕の紋次(もんじ 37歳)がやるから、と頼んだ。
寄ってきた小女が、たもとから[化粧読みうり]の[脊丈が低いのを高く見せる化粧と着こなし]号をとりだして示し、
「お武家さん。これ、とってもためになるよ」
「ほら、ご覧のとおりだ。[化粧読みうり]に、広がった玉門をすぼめる薬の囲みを入れると、飛ぶように売れる。その相談は、版元の権七(ごんしち 48歳)どんをまじえて、のちほど---」
「承知いたしました」
「暇があるなら、これから深川の冬木町寺裏の茶寮へ行き、相談をつづけてもいいが---」
「お伴します」
【ちゅうすけ注】『医心方』ついては槇 佐知子さん訳の筑摩書房版を参考にさせていただきました。
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コメント
愛称で呼びあうことを、目上の者から許されるのは、下の者にとっては、上が胸襟をひらいてくれたと受け取るでしょう。
とくに徳川のように礼儀を重んじていた社会では。
ちゅうすけさん、さすがにいいところへ着眼しましたね。
平さんの人脈づくりは巧妙です。
投稿: yotarou | 2010.12.23 04:41
『第二十八編 房内編』だけで多紀家をつかってはもったいないと感じていましたが、『第二十六編 仙道篇』と『第四編 美容編』も登場したので、さすがと感服。
ニキビ・ソバカス・シミには、江戸の女性たちも困っていたのでしょう。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.12.23 04:51
>yotarou さん
「銕さま」とか「銕っつぁん」と呼びかけるおんなや男は数多く登場していますが、
「平(へい)さん」というのは、盟友の浅野大学長貞と長野佐左衛門孝祖の2人だけでした。ここらあたりで、もう1人くらいいてもとおもいました。
若手の医学者として、そちらの知識の源としても。
幸い、現実にも、鬼平の強烈なファンの医師の方と知己になれたこともあります。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.23 07:50
>左兵衛佐 さん
55年ほど前に、富士川遊博士の『日本医学史』を大枚をはたいて購入していました。ホコリをはらい、書庫から手元へ移しました。暇にまかせてページをめくつています。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.23 07:58