« 同心・佐々木伊右衛門 | トップページ | 同心・佐々木伊右衛門(3) »

2010.12.27

同心・佐々木伊右衛門(2)

「目黒・行人坂の大火のあと、躋寿館(せいじゅかん のちの医学館)と居宅の再築を請けおったのは、最初の学舎も手がけた駒込片町の棟梁・大銀です」
佐々木伊右衛門(いえもん 41歳)がつづけた。

「駒込片町---とは、ずいぶん遠くの棟梁に頼んだものだな」
「遠くではありませぬ。多紀(たき)家の拝領屋敷は駒込片町の白山社前なのです」
「そうか。そのつながりか---」
平蔵(へいぞう 35歳)は納得し、そのあたりまで出張ったことをおもいだした。
戸祭とまつり)〕の九助)(きゅうすけ 22,3歳=当時)の隠し荷をあらために旅籠〔越後屋]を糾問したときであった。

参照】2010年10月27日[〔戸祭(とまつり)〕の九助] (

躋寿館は、薬園を犬や猫にあらされないように敷地には板塀がめくらされてい、てっぺんには猫もくぐりぬけられないほどの幅の狭い忍び返しがしかけてあった。

盗賊たちは、家人のくぐり戸から侵入したとおもわれる。
とすると、内側から桟をあけたものがいなければならない。

(たぶん、みんなといっしょに縛られたお(すぎ 40すぎ)---正体はお(てい)であったろう)
戸締まりを外しただけでも、死罪に値(あたい)するので、火盗改メの追求がきびしくなったのを機に消えたとおもえる。

学頭・多紀法眼元悳(もとのり 50歳)は、盗まれた受講料の再納入を強いると、辞めていく塾生も少なくなかろうとみたらしく、いまは富裕な町医として繁盛している百人近い卒業生に、建学15周年ということで奉加帳をまわしていた。

盗難のことを率直に訴え、講師陣へ支払う謝金として、盗難額のほぼ7割にあたる---170両(2,720万円)をも目安にしているのも良心的といえると、佐々木同心は評していた。

「朝鮮人参のほうはどうなりましたかな?」
「江戸の薬種(くすりだね)問屋には、町奉行と連名で触書(ふれがき)をまわしましたが、いまのところ、申し出はありませぬ」

超安値で買える好機を、商人がむざむざ見逃すはずはない。
(見込みはほとんどないといってよかろう)

佐々木うじ。橋本町に〔三ッ目屋〕という、大人の手遊び屋があることはご存じかな?」
「薬研堀の〔四ッ目屋〕なら存じおりますが---」
「いや、〔三ッ目屋〕のほうです。なにか、いいががりをつけ、おどしてごらんになるのもおもしろいかと---。ただし、躋寿館の塾生たちの月夜ばたらき(隠れ仕事---いまでいうアルバイト)による遊び金づくりのこともあるので、ほどほどに---な」

参照】2010年12月19日[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (

後日、平蔵は、先手弓の2番手組頭・(にえ)越前守正寿(まさとし 40歳)が、みずから〔三ッ目屋〕へ出向き、店内の商いの品々をたしかめ、主(あるじ)の与兵衛(よへえ)を糾問したことを報らされた。

(馬先召し取りの火盗改メではなかった)
先夜の応対、現場をふむ態度は、亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)の面影をしのばせ、より、親近感が強まった。

参照】馬先召取り---2006年6月11日[現代語訳『江戸時代制度の研究』火附盗賊改] (

|

« 同心・佐々木伊右衛門 | トップページ | 同心・佐々木伊右衛門(3) »

051佐々木新助 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 同心・佐々木伊右衛門 | トップページ | 同心・佐々木伊右衛門(3) »