医師・多紀(たき)元簡(もとやす)(8)
「多紀(たき)元簡(もとやす 26歳)さまのお相手のこと、ほんとうにお探しするのですか?」
藤ノ棚の家で、小茶碗で冷や酒を酌みかわしながら、里貴(りき 36歳)がたしかめた。
「探してやらなければ、いつまでも里貴にまとわりつくぞ」
『医心方 巻二十八 房内篇』の[第二十ニ章 好女(こうじょ)---寝間でいいおんな]によると---、
骨は細く、肌は肌理(きめ)細やかで艶があって若々しい。
しかも、透きとおるほどに清らか。
毛髪は絹糸のように細くてまっすぐ。
しかも秘所は無毛か、うっすら。
---ということで、里貴のあのときの裸の姿態を想像しておると、平蔵(へいぞう 35歳)がというと、眉根をよせ、
「うとましい」
内心は、まんざらでもないところがおんなごころの微妙であった。
「里貴の裸躰を、ほかの男が頭の中とはいえ、ねめまわしているとおもうと、おれだっていい気はしない」
平蔵が嫌がることは、避けたほうがいい。
「うれしい」
小茶碗をおき、立て膝をおろしたので、飛びかかられてもいいように、平蔵も茶碗をわきに離しておいた。
腰丈の寝衣なので、太腿(もも)までは裾がきていない。
その膝小僧をひらき、下腹を見下ろし、
「ここの芝生が淡いのを、恥じなくてもいいのですね?」
「おれは、三国一の果報者とうぬぼれている。動物や花にはある発情の季節というものを人間は忘れ去り、四季をつうじて交接するようになったから、玉陰のとば口を隠すための恥毛は無用の長物ともいえる」
「そういう考え方は、初めて---あら、〔季四〕の店名はそのことだったのですか? 恥ずかしい」
会えば、季節をとわないで抱きあってきた。
夜ごとに客が登楼してくる吉原の花魁(おいらん)たちは、湯殿でその茂みを軽石で磨(す)って縮めたり、まびきもすると聞いたことがあると平蔵の解説に、自分のものを指でなぶり、
「おかしな気分---」
笑った。
貴志村には、多紀安長元簡に似合いそうな17歳になる姪がいた。
色白で、里貴の妹のようだと村でいわれている。
行水姿を見たとき、下の絹糸もうっすらとしていた。
「江戸へ呼びましょうか?」
「いや。安っさんを紀州へ行かせよう」
「では、文を書きます」
「正妻になれなくてもいいか?」
「田沼(意次 おきつく 62歳)さまのお口ききで、ご家中のどなたかの養女という形はとれませぬか?」
「里貴似であれば、養父に横どりされかねないぞ」
「一生、可愛がってくだされば、側室のままでも、よろしいでしょう」
元簡は大乗り気で、父・元悳(もとのり)法眼を口説(くど)き、紀州へ旅だち、1ヶ月後には17歳の奈保(なほ)を伴って帰ってきた。
仮の挙式は貴志村で挙げ、江戸では躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の居宅に離れを建て増し、そこに落ちついた。
なんと、9ヶ月たつかどうかのうちに、女児を産んでいた。
さらに一年ちょっとのちには、左膳(さぜん)をもうけた。
名づけ親は、平蔵---というより、里貴であった。
「里貴は、後家になっとき左膳という武士に言い寄られたな」
冷やかすと、
「10年前には、そんなこともございました:げな---」
けろりと応えた。
両親の看病のために紀州の村へ帰っていたとき、左隣に蔭膳をいつもつくり、そこに銕三郎(てつさぶろう)がいるかのように話しかけていたことは告白しなかった。
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コメント
ちゅうすけさんは、銕三郎のイタ・セクスアリスを描くのだとときどきコメントなさっていますが、このところは、大人の男の閨室学のおもむきが色濃くなってきました。
いえ、反対しているのではありません。もっとやってほしい。
あてこんだセックス記事はどこにでもありますが、古典の紹介にことよせてのイタ・セクスアリスは、希少ですからね。
期待しています。
投稿: 左兵衛佐 | 2010.12.25 06:49
蔭膳で平蔵さんと対話をつづけていたという里貴さん、いじらしいというか、日本女性のお手本みたいな人。
半島から儒教を渡来させ、それをずっとまもっていた貴志の村育ちということが伝わってきました。
投稿: moto | 2010.12.25 07:01
>左兵衛佐 さん
いまの目でみると、平蔵がしていることは不倫とかといわれましょう。しかし、武家は後継一族、閨閥をふやすために、幾人もの女性に子どをつくらせていたことが、『寛政重修諸家譜』をひもとくと、あたのまえのように記録されています。
小説としての鬼平は、現代女性の支持をえるために身をつつしんているように描かれています。
史実の平蔵は、そうではなかった---やはり、明和、安永、天明の武家だったとおもい、女性関係もそう描いています。
もっとも、平蔵がかかわっている女性は、ほとんどが働いて自立している女性ですから、いまの自立女性を描いているともいえましょうか。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.25 07:32
>tomo さん
里貴は、半島の上流のよいマナーを基礎におきながら、日本でのマナーも心得た女性です。
ただ、片膝を立てが正座で、腰丈の寝衣でそれをやるのは、家族がいない、平蔵と2人きりの夜だけです。一種の媚態てしょうね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.25 10:45