新しい命、消えた命
「おんなの子でした」
辰蔵(たつぞう 15歳)が、ほころびそうになる表情をおさえて、平蔵(へいぞう 39歳)に告げた。
「尼どのは息災か?」
「お蔭をもちまして、いたって健やかです」
月輪尼(がちりんに 24歳)は、7ヶ月の孕み腹を他人目から隠すため、芝・新銭座の中村立泉(りゅうせん 60歳)医師の離れに寄留していた。
(芝新銭座 赤○=井上立泉屋敷 近江屋板)
(ちゅうすけ注)尾張屋板では「井上」とのみ記されているから、池波さんはシメシメ--と決めたのかもしれないが、近江屋板では「井上因碩」とある。まあ、切絵図は平蔵の時代よりはるか後年のものだから、立泉先生の孫あたりが「因碩」を名乗ったと考えておこう。
当初、平蔵は、多紀安長元簡(もとやす 30歳)を頼り、神田佐久間町の躋寿館(せいじゅかん)の病室をあてにしていたが、大勢の塾生が出入しているから、いつ、尼の剃髪と懐胎の異様さが話題にならないともかぎらないといわれ、亡父の旧友・立泉表番医に相談した。
「銕(てつ)どのの、ややか?」
立泉医師は、平蔵が14歳で、三島宿のお芙沙(ふさ 25歳=当時)によって男になった時、宣雄に頼まれて事後の診察をしたことがあった。
【参照】2007年8月9日[銕三郎、脱皮] (5)
「ややの父親は、辰(たつ)でして---」
「辰蔵(たつぞう)どのは、うちの孫とおない齢であったような---」
「はい。15歳です」
「父ごに似て、手ばやいの---」
恐れいった体(てい)で事情を打ち明けると、うれしげに承諾してくれた。
旧友の孫の苦境を助けることに意義を感じたのであろう。
(そういえば、宣雄(のぶお)どのも、知行地の村長(むらおさ)のむすめを孕ませたご仁であったな)
長谷川家に新しい命がさずかったこの年(天明4年 1784)の夏、一つの命の灯(ひ)が消えた。
衰弱しきっていた里貴(りき 40歳)は、夏が越せなかった。
このことを予期した平蔵は、女中師範のお栄(えい 52歳)が、約束どおりに〔橘屋〕へ引きあげるとき、引き締め策を奈々(なな 17歳)に伝え、女中寮住いの4人で切りもりすること、昼飯と夕餉だけで採算がとれるように見積れと指示していた。
若女将として切りもりをまかされた奈々は、顔つきまで変わった。
きびきびと齢上の女中たちに指示をとばし、客の気をそらさないばかりか、木挽町(こびきちょう)の田沼老中(66歳)の中屋敷をとり仕切っている於佳慈(かじ 34歳)へのあいさつも欠かしはしなかった。
田沼老中の息だけでなく、元手も入っているといった風評が店にとって援助になるとともに、自分への誘惑が防げると、察しがついたようであった。
おんなの直感といえばよかろうか。
里貴と同じ紀州藩内の村の生まれであることを売りこむことも忘れなかった。
里貴の元夫が、紀州から田安家へつけられた藩士であることは、貴志の村ではだれでもしっていた。
しかも、佳慈には、
「うちの平(へい)旦那も、お渡りをお待ちしております」
躰の関係を匂わせた。
里貴の四十九日忌を深川・奥川橋の万福院ですませた。
ここは高野山真言宗で、藍玉の〔阿波屋〕の事件で住職・円海(えんかい 68歳=当時)老師と面識ができてい、貴志村も高野山真言宗ということであったので、葬儀も遺骨の預かりも頼んだ。
【参照】2010228[〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛] (7)
黒江町筋の料理屋で精進おとしの夕餉(ゆうげ)をとり、権七(ごんしち 52歳)、船宿〔黒舟〕のお琴(きん 40歳)、松造・お粂(よしぞう 32歳 くめ 42歳)夫婦、今戸橋の元締の今助・千浪(いますけ 33歳 ちなみ 41歳)夫婦などと別れ、奈々と亀久町の家へ帰ってくると、奈々は荷をすべて階下へおろしていた。
「四十九日忌も終ったし、いつまでも下を空けておくのも無用心ですから---」
さっさと腰丈の黒っぽい寝衣に着替え、片口に酒を注いだ。
「お専(せん 25歳)さん、こなかったね」
奈々が杯がわりの小椀ごし、艶っぽい双眸(りょうめ)で意味ありげに平蔵を瞶(みつめ)た。
片立てひざの奥、まばらな絹糸がすっかり、成人のおんななみの丈になっていた。
お専は、里貴が息を引きとった翌日まで、あれこれ手伝っていた。
「次の患(わずら)い人に、手が離せなかったのだろうよ」
「うち、蔵(くら)さんがお専さんを抱きはってん、.しってた」
「やむをえなかった---」
「ええの。里貴おばさまはしらへんかったよって、救われた、おもう」
「そうだな」
「うち、里貴おばさんがいるあいだは、臓さんとできたらあかん、おもうてきた」
「いまだって、そうだ」
「うそ---」
「うそじゃない。奈々は若い。われは年寄りだ。奈々にはふさわしくない」
「好きあうことに、齢 あらへん」
「幾つちがうとおもっているんだ---?」
「たった、23」
「たった---ではない。23も、だ」
「みんな、うちら、できてる、おもうてる」
「おもいたい手合いには、おもわせておけばよい」
「おもわれてるとおりに、なりたい---」
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コメント
里貴さん、回復しなかったのですね。
ご両親のもとで、しずかにお休みください。合掌。
投稿: tomo | 2011.08.30 05:36
>tomo さん
佳人薄命---ではありませんが、いまでいえば子宮頸がんあたりだったのでは? 子もなしていないのに---。性生活が不規則だったこともあるのでは。いつも、平蔵が四ッ(午後10時前)には帰ってしまっていましたから。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.30 14:58