« お通の恋(3) | トップページ | 建部甚右衛門、禁裏付に »

2011.11.16

お通の恋(4)

弘二(こうじ 22歳)どんは、ぜひに嫁にと---」<

横川に架かる菊川橋西詰の酒亭〔ひさご〕で、飯台を囲んでいるのは浅草・橋場の元締・〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 38歳)とその女房で料亭・〔銀波楼〕の女将の小浪(こなみ 46歳)、お(つう 18歳)の母親で〔三文(さんもん)茶亭〕の女将・お(くめ 44歳)とその夫で長谷川家の家士・松造(よしぞう 34歳)。
そして、長谷川平蔵(へいぞう 40歳)であった。

平蔵が、おの義理の父親・松造に、渋塗職の弘二の気持ちをたしかめろととすすめても腰をあげないので、このままにしておくと、おがじれて出会茶屋あたりで安っぽい交合を誘いかねない、弘二のほうはおなごの経験がないというから、ひょっとしたらあわてて不具合なことになり仲がこわれるかもしれないと、今助弘二の気持ちを訊きださせた。

今助にいいつけたのは、婚儀となったら、今助小浪の夫婦の媒酌、〔銀波楼〕での披露までこころづもりしてのことであった。

弘二が踏みだしかねていたのは、病身な母親をかかえている負い目のある自分に嫁(か)すことは、おにとって幸せにはなるまいとおもっていたからとわかった。

平蔵のあしらいに、気のり薄だった松造もようやく愁眉をひらいた。
は、惚れた男と添うのがむすめにとっていちばんと割り切っていた。
それに、弘二の家業の渋塗りというのも気にいっていた。

あとでおがもらしたところによると、生渋(きしぶ)は椑柿(しぶがき)1斗(18㍑)を2.5倍.の水に入れ、臼で搗き、一晩おいてしぼったもので、黒渋はそれに灰墨(はいずみ)をまぜたものというところも合点がいった。
つまり、元手がほとんどかからず、手間賃が黒渋塗りで坪(1.8㎡)あたり100文(4000円)、灰汁洗(あくあら)いつきだと5割増し、1日に5坪はこなすと聴いたことによる。

A_360_2
(渋塗り職 『風俗画報』1898.01.10号 塗り絵師:ちゅうすけ)


「もっとも、雨の日は仕事になりせんから、ならすと働けるのは年に300日あるかどうかです」
弘二のことばに、それでも年37両(600万円)と手早く暗算した。
(椑柿代をさっぴいても25両はのこる。おも安心してややが産める)

の計算を軽んじてはならない、女は所帯をもつとなればだれだって先のさきまで瀬ぶみする。
惚れたの好きだのは瀬ぶみが済んでのことだ。

いま日に5坪こなしているなら、添ったら尻をたたいて6坪塗る算段をさせればいい。
小僧をつかえば8坪もいけるかもしれない。

の胸のうちを読んだ平蔵松造に、
「〔三文茶亭〕の欄間に、渋塗り注文取次ぎどころという披露目札を貼ったらとおにいってみよ。ほかにも希望があったら取次ぎ料を5厘(5%)とでも決めておくんだな」
(この案は元締衆にも教え、それぞれのシマ内の茶店と銭湯を仕切らせるか。若い衆の小遣いかせぎにはなるだろう。いまは商い人によって世間がまわっておるから、ほかにもお披露目口はありそうだな)


|

« お通の恋(3) | トップページ | 建部甚右衛門、禁裏付に »

148松造・お粂・お通・善太」カテゴリの記事

コメント

昨日のちゅうすけさんのレスで教えられた対比---登場キャラでも意識して使かわれていますね。平蔵をはじめとしてふつうは関東(江戸ふう)言葉で話ているのに奈々、芳(ゆき)尼、千浪、貞妙尼などは上方弁です。そこに微妙なキャラの色合いの差がにじんでいますね。

投稿: 左兵衛佐 | 2011.11.16 05:51

聖典『鬼平犯科帳』に登場しているキャラ、登場していないちゅうすけさんが創作したり、史実的に平蔵にからんでいたはずの実在の人物---田沼意次、佐野与八郎、井伊兵部少輔なとをたくみにからませ、史実的には聖典より教科書的です。

投稿: 文くばり丈太 | 2011.11.16 06:03

今日の渋塗り職の塗り絵、すごく味がありますね。お通ちゃんが惚れた弘二さんもこんなふうにいなせだったんでしよう。
私の年齢ではもう、絵てしか見ることがない職人さんの姿を、どこからお探しになっているのか、ほんとうに日本の庶民生活の姿を鬼平にことよせて掲げていただき、感謝しています。
このブログに親しんでいらっしゃる方々はみなさん、おんなじにおもっていらっしゃるでしょう。

投稿: tomo | 2011.11.16 09:19

tomoさんがいみじくもコメントなさっているとおり、このプログは、鬼平さんの時代を豊富な史料・絵で再現してくださっています。
たいんなご苦労と推察しています。どうか、これからも私たち怠惰な鬼平ファンを導いてください。

投稿: kane | 2011.11.16 09:28

>左兵衛佐 さん
奈々、菜保の北紀州弁は知人の北山ご夫妻に手直ししていただいているので自信はありますが、小浪、芳、〔音羽〕の重右衛門夫人のお多美の京都弁はまったく自身がありません。京都出身の鬼平ファンの方からのご叱声、ご添削をお待ちしています。
京都弁のほか、甲府弁、越後弁、宇都宮弁など、その都度、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。あなたのお力添えでブログを盛り上げていければうれしいです。

投稿: chuukyuu | 2011.11.16 10:06

>文くばり丈太 さん
過分のお褒めのお言葉、光栄であるとともに身の縮まるおもいもしています。
鬼平---というか、長谷川平蔵を調べていて、これほとにケタはずれの人物が幕府にいたのかとおもうとともに、彼にかかわった史実上の人たちを登場させるとき、ご゜子孫から苦情がでたらと、おどおどしながらすすめています。どうか、ちそこのところをおくみとりください。

投稿: chuukyuu | 2011.11.16 10:16

>tomo さん
たまたま、『風俗画報』という明治20年ごろから大正のはじめまで45年近く、毎月2号ずつ刊行された雑誌をそろえていまして、渋塗り職のモノクロの絵があったので、彩色してみました。お気に召してなによりでした。こんごとも、、いろんな形で江戸を復元していきたいと念じています。ご支援ください。

投稿: chuukyuu | 2011.11.16 10:24

>kane さん
ようこそ。
今日の渋塗り職の元絵は、tomo さんへのレスに書いたとおりです。まあ、若い頃から史料だけは買い込んできていますから、余命のあるうちにこのブログにあげておけば、今後の鬼平ファンの方々のご参考になろうかとおもっています。
ただ、7年間も毎日つづけていますから、膨大に量になっています。どのような形で圧縮するか、目下、頭をなやませています。
お知恵をつけてください。

投稿: chuukyuu | 2011.11.16 10:37

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« お通の恋(3) | トップページ | 建部甚右衛門、禁裏付に »