庭番・倉地政之助の存念(5)
「長谷川さま。これは倉地の言葉でなく、里貴(りき 逝年40歳)さまのお言葉としてお聴きくださいますか?」
庭の者支配の倉地政之助満済(まずみ 46歳)が姿勢をかたくし、平蔵(へいぞう 40歳)から視線をそらし、天井をあおぎながらいった。
「里貴の言葉とあれば。承(うけたまわ)るしかない」
倉地は襖(ふすま)の向こうにも気くばりし、
「大坂の両替商人たちすべてが田沼(主殿頭意次 おきつぐ 67歳 相良藩主)さまのご政道を喜んでいるとはかぎりません。商人は利にさとい。利にもとるようなことには服従しないでしょう」
「とうぜんなこと。相良(さがら)侯 とてそのことは百もご承知であろうよ」
「いえ。田沼侯はご承知でも、勝手方(財政)におたずさわりのまわり方々が忠義面(ずら)して先走りなさることもございます」
「わかった。折りをみて、於佳慈(かじ)さまへ、里貴からの伝言としてお告げしておこう」
「お願いいたします」
庭の者は呼び出しがあるまで顔を見せることはかなわなかった。
「ことは猶予できないところまできておるとおもうかの---?」
「ここ一年は大事ないと存じますが---」
「付け火はどっちからと見ているな?」
「水戸、名古屋あたり---」
「ほう---」
「それに、元の茶寮〔貴志〕の午(うし 南)方---」
「民部卿(一橋治済(はるさだ 35歳---)」
「越中(守定信 さだのぶ 27歳)さまほか、お為派の譜代大・小名衆---」
「庭の者衆はお為派の譜代衆を探ぐってはいないのか?」
倉地は首をふった。
「なせだ---?」
「庭の者すべてが相良(さがら 田沼意次)侯にこころしているとはかぎりません。いつ、秘事が洩れんものともわからないことは、やるべきではありません」
「------」
平蔵は権力争いの暗闇の深さ・醜悪さに身ぶるいするおもいであった。
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コメント
平蔵と倉地の会話、おもしろいです。
現実味が濃いです。
投稿: 文くばりの丈太 | 2012.01.18 08:52
>文くばりの丈太 さん
不思議です。大坂城代も大坂の東西の町奉行も当ブログで平蔵がかかわった人物。偶然にしてもできすぎていると、ちゅうすけも感じています。
倉地は里貴の関連でとうぜん顔をだすお庭番てしょう。
投稿: ちゅうすけ | 2012.01.18 16:01