筆頭与力・佐嶋忠介(2)
「お言葉に甘えるのも目上の方への礼儀のうちと割り切り、参上させていただきました」
低い声での口上もさわやかに、細身でしなやかに動く躰で、しつらえてある席に、佐嶋忠介(ちゅうすけ)がこだわることなく着いた。
(50歳にとどいたばっかりと聴いてたけど、5つは若う見えはる)
20 歳(はたち)の奈々(なな)の目にも、所作がさわやかであった。
「なんの。お請(う)けいただき幸甚」
2度目の対面とおもえないほど、平蔵(へいぞう 42歳)もくつろいだ口調で応じていた。
初回の面合わせは、平蔵が火盗改メ・助役(すけやく)を発令されて真っ先に、本役の堀 帯刀秀隆(ひでたか 51歳 1500石)の役宅の小川町(おがわまち)裏猿楽町を訪(おとな)うたときであった。
忠介は堀 本役の傍らにいたが、頭をさげるだけでほとんど口をきかなかった。
風邪ぎみで気分がすぐれなかったのであろう、平蔵が、
「よろしくお引きまわしを……」
儀礼的にいうと、秀隆は大きなくしゃみを洩らしてから、
「いやいや。お父ごの時にご経験であろうから、おもいどおりにおやりになされ」
なにか含むところでもあるような受けの言葉を吐いた。
(いちいち、父上を引きあいにだされると、負担ではある)
今夕の会見は、堀 本役のそのときの失言じみた言葉の謝罪をしておきたいとの佐嶋筆頭の申し出があって、もたれた。
平蔵側が、館(たち) 朔蔵(さくぞう 32歳)が家格にしたがい、筆頭与力の職に就いた報告をかねた挨拶と今後の交流を頼み、ついでに松造(よしぞう 36歳)を引きあわせた。
終わったところで、佐嶋に酌をすすめた奈々を、
「ついでの紹介の形になってしまったが……」
断って、〔季四〕が前の老中・田沼相良侯のご縁の女将と、さりげなく披露目(ひろめ)ておいた。
受けた盃にちょっと口をつけただけで膳へ戻し、
「あの節、頭(かしら)は運悪く、時風邪(ときかぜ)のさかりでして、真意は、行人坂の火付け犯をお召し捕りになった備中守どののご嫡子のこと、わが組にもその至芸のほどをご教示いただきたい――と申すつもりのところ、くしゃみで言葉をとりちがえたようです」
まず、佐嶋筆頭が謝罪した。
平蔵は顔の前で掌をふり、
「奈々女将どの。佐嶋筆頭どのは、非番の日には1升ではすまぬと聴いておる。もっと大きい盃に替えて進(しん)ぜよ」
これで、こだわりがすっかり流れた。
佐嶋筆頭が新米館 筆頭に酌をし、
「先代の筆頭(伊織(いおり 享年60歳)どのとは、持ちつ持たれつの永いおつきあいをいただきました。お酔いになると――浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ。われらが飯の種も、ゆえに尽きまじ――がお口ぐせでありましたな」
笑うと、大きく張りでている喉ぼとけがはげしく上下し、奈々に性的なものを感じさせた。
「――飯の種も、ゆえに尽きまじ――とは、できすぎにしても、弓の2番手組の真の役目をよくあらわしておりますな。ところで、佐嶋うじの密偵使いの秘訣は?」
平蔵の突然の問いかけに、佐嶋筆頭の盃を持った手が、一瞬、はっと止まった。
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