おまさ、[誘拐]
当ブログをたちあげたのは、2004年の12月の末であった。
池波さんが『鬼平犯科帳』を創作するときに脇へ置いていた基本的な資料――
-『江戸名所図会(ずえ)』
-「(近江屋板)切絵図」
-『江戸買物独案内』
つかわれたその場その場で図示しなから、作者の頭脳の経路を探索したいとの発起であった。
さらに、盗賊の出生地を求めるための
-吉田東伍博士『大日本地名辞書』
つまりは、『オールカラー図解・鬼平犯科帳』を試みようとしたのであった。
そんな企画は、書籍では高価についてビジネスとしてはなりたたない。
そんなわけで、ブログの当初のタイトルは、[『鬼平犯科帳』盗賊探索日録]だったようにように覚えている。
その名残りは400人ほどの盗人(つとめにん)の生国・年齢人相・顛末を50音順に整理した盗賊Who’s Whoの形でまとまっている。
3年間ほどそんな試行錯誤をつづけながら、長谷川平蔵(銕三郎)が生きた時代の制度・役職・人脈・事件の調べへ発展していった。
と同時に、そのころの性風俗もからめるようになった。
もっとも注力したのは、アイデアマンとしての平蔵を生き生きと描くことであった。
その一つが[化粧(けわい)読みうり]の板行と、記事下に添えるお披露目(ひろめ)枠の商店えらび、その効果――いまでいえば広告効果であろうか。
じつは、ちゅうすけはコピーライターとして、20世紀の広告世界に革命を起こしたニューヨークのドイル・デーン・バーンバック社(略称DDB)の世界一の研究者である。
どういう語り口(アイデアとその表現)に読み手の信頼がえられるかを半世紀以上も調べてきた。
(その具体的経緯は、もう一つのブログ――[創造と環境]http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/に5年間にわたって毎日報告してきている)
そう、連日ということでは、当ブログも7年6ヶ月――2,575日間、1日も休むことなくつづけているということである。
3日坊主が常習のちゅうすけとしては、人生82年間ではじめてやった快挙がこれであった。驚愕!
当ブログは、4年ほどつづいたあたりから、終わりは、池波さんが未完で逝かれた文庫巻24の「誘拐」で何者かに攫われた密偵おまさを平蔵が救出したところが最終回と予告してきた。
そのつもりでゆっくりと枝道へそれてはそれなりに楽しんでいたら、本年の1月、末期がんにまですすんでいる喉頭の病巣が発見された。
患部は食道・肺にまでおよんでおり、余命6ヶ月との宣告であった。
ぼやぼやしていられなくなった。
余命6ヶ月だと、最後の3ヶ月はブログどころではあるまいと覚悟した。
で、この2月から筆(キー打ち)をいそぎ、昨日、やっと、文庫巻1収録の[唖の十蔵]につながるところへ駆け足で追いついた。
明日からは、一足飛びに寛政7年(1795)――平蔵が病床に就く前、おまさの救出にとりかかれるところからはじめたい。
むろん、池波さんの腹案は察しながら――である。
たぶん、1ヶ月もかからないとおもうので、おつきあいいただきたい。
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