おまさ、[誘拐](5)
平野屋源助と茂兵衛は、峰山の初蔵について知るところはなかったが、荒神の助太郎の名は知っていた。
「なかなか立派な、ものの道理をわきまえたお頭だったようですよ」と茂兵衛がいえば、源助も、
「私が京で引退(ひき)祝いをいたしましたときに、会ったことはございませんが、使いのものをよこしてくれましてな、金五十両(800万円)の祝(いわ)い金(がね)を贈ってくれましてございます」
「つきあいもないのにか」
「はい。向こうは向こうで、私の評判をいろいろと耳にしていて、私を好(す)いていてくれたからでございましょう」
「なるほど。荒神の助太郎とは、そうした男であったか……」([炎の色]p93 新装版p )
末尾の一行は平蔵(へいぞう 49歳)の感嘆であった。
そういえば、このブログで平蔵(へいぞう 28歳)を称してからは、助太郎(すけたろう)を目にしていない。
じかに会話をかわしたのは14歳のときに箱根宿の芦の湖畔でと、18歳の小田原城下で透頂香「ういろう」の店の前であった。
あとは、〔荒神(こうじん)〕一味とおもわれる賊が押し入った形跡を探ったのと、じかに助太郎に会って風貌をおぼえていた下僕・太作(たさく)が宇都宮城下で見かけて手くばりしたのと、息・辰蔵(たつぞう 13歳)が、お賀茂(かも)とおもわれるおんなと大塚吹上(ふきあげ)の富士見坂上の茶菓子舗〔高瀬川〕ですれちがったぐらいであった。
西久保の京扇の店〔平野屋〕の番頭・茂兵衛(もへえ 40がらみ)は、かつては大盗・〔帯川(おびかわ)〕の源助(げんすけ 70歳前後)の敏腕の軍師であり右腕の〔馬伏(まぶせ)〕の茂兵衛どんとして一目(いちもく)おかれていた。
その茂兵衛が「ものの道理をわきまえたお頭」ということが納得できる風評をなにか耳にしたのであろう。
「ものの道理」とは、約束を守り、金銭の貸し借りが清らかで、分をわきまえて出しゃばらず、長幼の序をたがえず、要するにはた迷惑をかけない――といったところであろうか。
いや、上の一つだってきちんと行うのはかなりむつかしいのだが。
源助の評価はかなり具体的である。
相手を認める、重んじる、喜びを共にする――とりわけ、〔帯川〕や〔荒神〕のような職業(?)の場合は、無事に引退できた、畳の上で死ねたというのは最高の人生だったのはず。
そのことを心底から銘じあっている同士――としての祝い金(がね)の交歓であったろう。
もっとも、源助のほうが、13年前に香典を届けたかどうかはわからないとしても……。
(引退祝いに50両は納得できるが、香典はいくらであろう? 50両の香典というのは、いくらなんでも道理にはす゜れているとおもうが――)
一瞬の妄想を平蔵は打ちけし、源助主従にほほえんだ。
志――あるいは人生哲学が似ている、尊敬しあえる、という先輩、同輩、後輩がいるだけでも、生まれてよかったと思える。
幸せである。
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