〔羽佐間(はざま)〕の文蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻4に収録[五年目の客]に遠州の大盗賊(おおもの)として名前だけ登場。
年齢・容貌:不詳。
生国:駿河国・志太郡羽佐間村(現・静岡県岡部町羽佐間)
探索の発端:じつは、大盗賊はこれまで、江戸ではおつとめをしていないので、長谷川組も手をつけていなかった。
ただ、〔小房〕の粂八が、〔野槌〕の弥兵衛の配下になる以前、3年がほど〔羽佐間〕一味にいたのだが、一味のあまりにも非道なつとめぶりに愛想がつきて、去った。
一味にいたときに見知った〔江口〕の音吉が、浅草・今戸橋を渡っているのを見かけて鬼平に告げ、同席していた岸井左馬之助が尾行して宿をつきとめ、逮捕のきっかけをつかむ。
音吉はなんと、泊まっていた東神田・下白壁町の旅籠〔丹後屋〕の女将お吉と船宿で密会をしていたのだ。
物語は、五年前にさかのぼる。
不幸せを絵に書いたような少女時代を送ったお吉は、品川宿の女郎屋〔百足(むかで)屋〕で売れない女郎をしていた。名古屋城下でのおつとめで分配金78両をふところにした〔羽佐間〕一味の〔江口〕の音吉が〔百足屋〕へあがり、たまたま相敵(あいかた)にでたお吉が、彼の胴巻から50両をくすねて逃亡。
その後の曲折を経て、〔丹後屋〕の女将におさまっていたところへ、偶然、音吉が宿泊客となって現れたので、てっきり、5年前の50両の始末をつけに来たとおもいあまっての、密会であった。
〔江口〕の音吉を糸口に、〔羽佐間〕一味の江戸での押し込み先をつかんだ長谷川組は、先行して一味を待ちかまえた。
結末:書かれてはいないが、、〔羽佐間〕文蔵以下、逮捕された一味10名は、これまでの血なまぐさい仕事ぶりから、いずれも獄門となったであろう。
つぶやき:〔江口〕の音吉との顛末をすべて白状したお吉へ、鬼平がいう。
「お前、夢を見ているのではないか----(略)。羽佐間一味の盗賊で、江口の音吉という悪党だぞ。(略)。そのような悪人と、丹波屋の女房が何らの関係(かかわりあい)のあるはずはない。な、そうであろうが----」
せっかくつかんだ幸せな生活を手放すまいと、音吉に体をまかせていたお吉の心根を、鬼平はやんわりと包んでやったのである。俗にいう、花も実もある鬼平の裁き----大岡越前t守や遠山の金さんの劇が、大向こうの受けをねらってよくやる名場面の再現といえそう。
羽佐間は、江戸期の地図で見ると、岡部宿から北へ31丁(3キロ強)、岡部川の上手の支流---桂川ぞいの60戸ほどの寒村とか。山と山の〔はざま〕のそんな村から、文蔵のような男が大盗賊(おおもの)に育っていった経過を、近いうちに「羽佐間」の地に立って、かんがえをめぐらせてみたい。
バス停の表示は「HASAMA」と濁らないが、バス運転手も車内アナウンスも「はざま」
羽佐間の家並み。南をのぞむ。東西と北はおろか、すぐ南にも山。町の中央を朝比奈川が貫流する。
西の小山。狭い山肌を開いて茶畑に
ちなみに、羽佐間村が岡部町へ併合されたのは明治22年(1889)のことで、静岡のSBS学苑〔鬼平〕クラスの中林さんの調べによると、土地では濁らないで、(はさま)と呼んでいると。
「羽佐間」についてリポートします。
SBS学苑パルシェ(静岡)〔鬼平〕クラス 杉山幸雄
〔羽佐間〕はその名のとおり、東西に山をいただく狭小な山あい(はざま)の地だが、明治22年(1889)に合併されて現在は岡部町の一画となっている。
徳川時代の当初は幕府の直轄領だったが、のち幕臣・大草主膳の知行地( 107石分)となった。
現在は戸数80余、人口 400人。
羽佐間は駿州だから、村をでて西隣の遠江一帯を稼ぎ場としていたことになっているが、池波さんは、どういう経緯でこの部落に目をつけたのか。
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