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2005.02.28

〔赤尾(あかお)〕の清兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻14に所載の[さむらい松五郎]に、ちらっと出てくる、高崎在住の〔口合人〕。

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年齢・容姿:まったく記述されていない。
生国:武蔵(むさし)国入間郡(いるまごおり)赤尾村(現・埼玉県坂戸市赤尾)
甲斐(かい)国山梨郡(やまなしごおり)赤尾村(現・山梨県塩山市赤尾)の線もすてがたいが、距離的に、こちらは高崎まで山また山で、街道づたいだとゆうに120キロを越してしまう。
坂戸市の赤尾からだと、50キロだし、絹の流通路づたいなので。

探索の発端:同心の兎忠こと木村忠吾が、非番の日に、中目黒の威得寺へ仲のよかった密偵・伊三次の墓参に行った。忠吾は、自家の墓域の横に伊三次を葬ってやっていたのである。
帰路、不動前の〔桐屋〕で、お頭の奥方のために、黒飴をもとめていたところ、〔須坂(すざか)〕の峰蔵と名のる盗人に肩をたたかれ、自分が〔さむらい〕松五郎こと〔網掛(あみかけ)〕と瓜二つであることを知った。
〔さむらい〕松五郎に化けきった忠吾の働きにより、、〔須坂)〕の峰蔵がいま助(す)けようとしていた〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味の動きもつかめた。
峰蔵を〔轆轤首〕へ引き合わせたのが、〔赤尾(あかお)〕の清兵衛だった。

結末:〔轆轤首〕の藤七一味はもちろん、ほんものの〔さむらい〕松五郎と〔須坂〕の峰蔵も、火盗改メの手によって捕縛された。〔轆轤首〕の藤七一味はとうぜん死罪。〔須坂〕の峰蔵は密偵になったろうが、記録はない。
〔赤尾〕の清兵衛にも手がまわったはずだが、これも書き残されてはいない。

つぶやき:〔口合人〕という新語を考案した池波さんのネーミング上手を確認するために、〔赤尾〕の清兵衛に登場してもらった。
〔口合人〕---いまふうにいうと、人材派遣業。盗賊界専門の〔口入れ屋〕である。盗賊界専門というところが目新しい。たしかに、表向きにはできない人材派遣業者ではある。

30年ほど前、ニューヨークの広告界を取材していたとき、コピーライターとかアート・ディレクター専門の〔口入れ屋〕のことを、〔パーソナル・エージェント〕と聞いた。いや、「パーソナル・エージェント」とは人材派遣業者全般をさす言葉かもしれない。

しかし、話してくれたのがコピーライターだったから、そのときは広告制作技術者専門の〔口入れ屋〕と受けとめた。
仕事先を依頼した側からは月収分、制作技術者を紹介してほしがった企業側からも月収分の紹介料をもらうのだとか。それで、人材の移動を激しくして稼ぎを大きくするために、1、2年単位で辞めさせてつぎの職場に送り込むタチの悪い〔口合人〕もいるのだとか。

池波〔口合人〕の紹介料は、いかほどだったのだろう。

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コメント

[口合人]は池波さんの造語ですか。
藤沢周平の「用心棒日月抄」には[諸職口入れ]と小さな看板がぶら下がっているとの文章が最初にでてきますね。
また落語では口入れ屋のことを[桂庵・慶庵]の名で話に出てきます。
これは寛文の頃江戸の医者大和桂庵が、奉公や縁談の世話をした事から始まったそうです。
落語「百川」では葭町の千束屋という桂庵からの紹介とあるのでかなりあちこちにあったのではと推測できます。
池波ワールドでは多くのながれ盗めがでてきますので口合人は貴重な存在になってますね。

投稿: 靖酔 | 2005.02.28 14:41

>靖酔さん

「桂庵」の語源は、そういうことだったのですか。
落語のことは、靖酔さんですね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.01 12:36

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