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2005.03.13

〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、〔清洲〕の甚五郎一味が仕込みをしていた、元飯田町の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕方へ、一足先に侵入して全員殺戮の上、奥座敷の金蔵から1,500両余を奪ってにげた〔畜生ばたらき〕一味の首領。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)

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年齢・容姿:いずれも記されていない。
生国:上野(こうずけ)国群馬郡(ぐんまごおり)三ノ倉村あたり(現・群馬県群馬郡倉渕村)
学習院〔鬼平〕クラスの堀 眞次郎さんのリポートによると、昭和30年(1955)2月、倉田村と烏淵村が合併して倉渕村となったと。池波さんがこの村名を知ったのは、合併後であろう。
現在の倉渕村は、江戸時代の、三ノ倉、権田、川浦、水沼、岩氷の5カ村にあたる。。池波小説にしばしば現れる倉ケ野村に近い。

探索の発端:押し入り先の一家惨殺に怒りをおぼえた〔一本眉〕こと〔清洲〕の甚五郎は、〔亀屋〕の間取りを売ったとおぼしい座頭・茂の市を見張った。案の定、〔倉渕〕一味の〔野柿〕の伊助が甞め料の半金を渡しに現れた。
その伊助の帰り道を尾行して盗人宿が知れた。

結末: 〔倉渕〕一味の主な盗人宿、板橋駅の石神井川ぞいの旅籠〔岸屋〕を襲った〔清洲〕一味は、佐喜蔵をはじめとして男の盗人10名は惨殺、生け捕った2名を柱にくくりつけた。その上で、火盗改メへ〔岸屋〕の顛末を投げ文したのである。

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板橋の駅(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

つぶやき:本格派の盗賊が、畜生ばたらき派の盗賊をたしなめる---どちらも盗人に変わりはないのに、読み手は、ついつい、本格派に肩入れしてしまう。ここが『鬼平犯科帳』の不思議な仕掛けともいえる。

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コメント

「倉淵」という村名が昭和30年以前には存在していなかった、という事実を、池波先生はご存じの上で、佐喜蔵の通り名になさったのでしょうか。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.14 09:04

>文くばり丈太さん

盗人の〔通り名(呼び名)〕を探すとき、原則的には、池波さんは、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)から採っていることは、これまでにもしばしばご紹介しています。

同辞書に「倉淵」は、とうぜん、収録されていないわけですから、ほかのなにかから採ったとかんがえざるをえません。

倉賀野へのこだわりから、たぶん、あのあたりに旅行か滞在をしたとき、目にしたのではないでしょうか。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.14 09:21

池波正太郎さんは昭和40年代に小栗上野介の墓参りに倉渕村権田の東善寺にお参りしていますから、倉渕の地名は当然知っています。地名辞書以外からの採用でしょう。(この作品が昭和30年以後のものであれば…。)

投稿: 木魚の泰助 | 2008.09.01 18:35

>木魚の泰助 さん
お久しぶり。
[一本眉]は昭和50年12月号『オール讀物』ですから、ご指摘のとおり、墓参後です。
お蔭で、また一つ、氷解しました。
ありがとうございます。

投稿: ちゅうすけ | 2008.09.03 08:44

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