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2006.04.18

堀 帯刀の本役発令

池波さんが、『鬼平犯科帳』で、長谷川平蔵宣以の火盗改メの前任者に、堀 帯刀秀隆を据えたのは、史実として正しい。

推察するに池波さんは、『徳川実紀』の下に掲げた天明5年11月15日の記述を見て、そうしたのであろう。

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「また先手頭掘帯刀秀隆盗賊考察の事奉る。」とある。
堀 帯刀は、このとき49歳。それから足かけ4年---天明8年(1788)9月28日に持筒頭を拝命するまで、火盗改メの本役を勤めたことは、すでに記した。

しかし、池波さんは、『続徳川実紀』の天明7年(1787)9月19日の項---「先手筒(弓の誤記)頭長谷川平蔵宣以捕盗の事命ぜらる。」を目にしたとき、長谷川平蔵が後任に選ばれたとおもった。 

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まあそれまで、平蔵についての研究がまったくといっていいほど開拓されていなかったのだから、いたし方がなかったともいえる。

ところで、堀 帯刀だが、天明5年11月15日の発令時は、先手筒の第16組の組頭であった。
ところが、火盗改メ発令と同時に、先手弓の第7組へ組替えをしている。
うわさによると、組頭が火盗改メに任じられると、組の与力・同心にも別手当がつくので、それを狙って弓の第7組の与力・同心たちが合計80両を出しあって、堀の用人へとどけて組替えを策したのだという。

そのことを知った弓の第1組も、ほぼ1年後に100両の金を出しあって用人へ渡し、組替えをしてもらつたという。与力1人が7両ずつ拠出しても、3カ月ほどの役手当でもとはとれたらしい。

弓の第1組は、別称「駿河組第1組」ともよばれているほど伝統のある組なのに、組下がそのような利に走る時代になっていたのであろうか。

また、組替えそんなに簡単にできるものかどうか、不明にして知らないが、堀 帯刀その人は、任期中に組を3回も変わった風変わりな仁ということで、評判になったことは事実である。

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コメント

4年の任期中に3回も組を代っては部下の人心を掌握するのは
たいへんですね。
道理で、信頼関係が出来ているようには見えませんでした。

投稿: みやこのお豊 | 2006.04.18 22:40

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