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2006.10.02

三河(そうご)と十合(そごう)

『鬼平犯科帳』を連載する2年前の1967年、池波さんは『週刊朝日』の4月28日号から6月16日号に、[上泉伊勢守]を連載している。
10人の作家による[日本剣客伝]という企画ものの1篇であった。

100その[上泉伊勢守]の全文が、こんど新潮文庫『剣聖』(2006.10.1.)に収録されたので、早速、読み返した。
で、おもわぬ拾いものをしたとおもった。

というのは、このブログの当初のタイトルは[盗賊探索日録]で、『鬼平犯科帳』ほかの池波作品に登場している盗賊の身元調べであった。
中の一人に、〔そうご〕の定右衛門という頭領格の盗人がいた。文庫巻23、長篇『炎の色』で、〔荒神(こうじん)〕のお夏(25歳)を仕込んだ盗賊である。

[上泉伊勢守]に、伊勢守に決闘をしかける3人の剣客が登場する。
讃岐の牢人・稲津孫作
土井甚四郎
十合(そごう)九郎兵衛高種(四国出身とのみ記しているが、将軍・足利義輝を害した三好義継との縁から推察すると、讃岐か)
うち、前の2人はその場で討ち果てるが、十合高種だけは逃げのびてのち、再挑戦してくる。

いや、じつは、10月1日の新聞広告で、新潮文庫の『剣聖』の新刊を知り、その朝、東京駅の〔プック・ガーデン〕に平台積みしてあったのを求め、新幹線の車中で読み終えた。
当日は、静岡市のSBS学苑パルシェの、4年来つづいている〔鬼平〕クラス日だった。

十合(そごう)姓に記憶が刺激された。
クラスで、池波さんが、『週刊朝日』へ寄稿するために、同年、上州・前橋、上泉、前川を取材旅行したこと、その20年後にも〔そうご〕という盗人が書かれたこと---などを教室で余談として話した。

さて、当ブログ2005年6月17日の〔そうご〕の定右衛門の項をあらためて確認したら、〔そうご〕は〔そうご〕でも、定右衛門のは京都京都府加佐郡大江町三河からとられた〔三河(そうご)〕であった。

決闘を申しこんだほうの〔そごう〕は、上記のように十合。
たしか、倒産したそごうデパートも〔十合〕と書いたような。
もっともデパートのほうは、10の企業体が合併したための命名だったようにも記憶している。

とんだ勘違いを話してしまった。
つつしんで、お侘びと訂正をしておく。

とはいえ、池波さんは、、[上泉伊勢守]でつかった〔十合(そごう)〕という剣客の姓を、京都府の三合(そうご)をみたときに思いだしたにちがいないのだが。

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