『甲子夜話』巻6-28
『甲子夜話』巻6-28
田沼氏の権勢が盛んだったころは、諸家は贈遺にさまざまに心をつくしたものであった。
中秋の月宴に、島台、軽台をはじめ趣向した中に、某家の進物は、小さな青竹篭に、生きのいい大鱚(きす)七八尾ばかり、彩りに些少の野のものをあしらい、青柚子(ゆず)1個。その柚子に家堀彫(いえぼり)萩薄の柄の小刀が刺してあった[家彫は後藤氏の彫ったもので、その値は数十金もした)。
別の某家のは、けっこう大きな竹篭にしびニ尾であった。
この二つは類がないと、田沼氏は興を示したと。
また、田沼氏が盛夏に臥したとき、候問の使价が、このごろは何を楽しまれているかと訊いた。菖盆を枕元へ置いて見ておられると用人が答えたところ、ニ三日のあいだに。諸家から各色の石菖を大小とりどりに持ち込み、大きな二つの座敷に隙間もないほどに並んで、とりあつかいに困ったほどと。
そのころの風儀はこんなであった。
(ちゅうすけ注) 「講釈師 見てきたような、ウソをいい」で、庶民の鬱憤ばらしの噂話は針小棒大どころか、ねたみから出たまったくの捏造であることが多い。
また、田沼意次の場合には、反田沼派が意識して流した、ためにする噂もあったろう。
静山は、そんな不確かな風評を、ウラもとらずに40年後に記録しているんだから。
石菖の話は、浜町の下屋敷の池に鯉があふれたというのと同工異曲。
らちもないこんな風評を写していると、反田沼陣営が政治的権力を独占したあとの情報のムチのしたたかさが見えてくる。
目に見えないこういう圧力に向き合った現職役人・長谷川平蔵の、ストレスの大きさもおもいやられる。
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