平蔵宣雄の『論語』学習(2)
2007年5月22日[平蔵宣雄の『論語』学習]で、母御・牟弥(むね)独自の『論語』解義を紹介した。
そのつづき。
子張(しちょう)、禄を干(もと)むるを学ばんとす。子曰く、多くを聞き疑わしきを闕(か)き、慎んで其の余を言えば尤(とが)め寡(すく)なし。多くを見て殆(あや)うきを闕き、慎んで其の余ほ行えば悔い寡なし。言って尤め寡なく、行って悔い寡なければ、禄その中にあり。
「平どの。出仕なさったら、その部署に、一日でも早く着任されている方はすべて先輩と心得なさい。先輩とは、年上ばかりではありませぬ。平どのより先にそのポストについた方すべてが先輩なのです。
何かを議するとか、建議しなければならないことが生じたなら、できるだけ聞く側へまわりなさい。
言を求められたら、確かめていないことはどんなことでも口にしてはなりませぬ。みなさんが発言なさったこととか、確信できていることだけを申しのべなさい。
しかし、手短に、ですよ。どう言えば手短に述べられるか、口にする前に、心の中でよくよく予行しておきなさい。
口数を少なく少なくと心がけていれば、非難をうけることもすくないのです。また、口数が少ないほうが、思慮深げな侍にも見えます。
新しいことをしなければならなくなったら、それに似た事例を思い出して、確信がついたら行いなさい。そうすれば、あとで後悔するにしても、非難されることは少ないでしょう。新しいことをするには、二番手でいいのです。もちろん、戦いの場では別です。しかし、それとても、大将どのの軍令をないがしろにして先を競ってはなりませぬ。
いま申しているとおりに言葉をつつしみ行いを慎重になされば、家禄を守って子や孫へつなぐこともでき、もしかして加増を受けるようなこともあるかもしれませぬ。
(注:長谷川伊兵衛家は、番方(小姓組か書院番組)の家柄とはいえ、6代目まではヒラのままで終わっていたのが、7代目の平蔵宣雄の時に、先手組頭はおろか、役方(行政系)の京都西町奉行にまで出世している。
徳川幕臣における出世とは、定まっている家禄とは別の、家禄を上まわる役務給---足高(たしだ)か を得ること)。
子曰く、約をもってこれを失う者は鮮(すく)なし。
「こちらに心当たりになるようなことがないのに、不運にも左遷とか降格とか窓際へ置かれたとしましょう。そんな時にくよくよ悩んでみてもはじまりませぬ。不満を口にするなどはもってのほかです。酒におぼれなければ、その地位で大失敗をすることは少ないはずです。むしろ、その境遇を楽しみ、晴ればれとした顔でいなさい。塞翁が馬というではありませぬか(おや、どうして『論語』の話に仏蘭西国の皇帝の事例なんぞが出てくるのでしょう? 不思議千万)。やがて陽があたります。世の中、夜ばかりではないのです。
子曰く、君子は言に訥(とつ)にして、行いに敏ならんことを欲す。
「侍の子は、言葉数はなるべく少なく、口に出す前に胸の中で三度繰り返してみることです。いえ、塾の先生は、話すのが仕事ですから、それは仕方のないことです。でも、庶民の上に立つ侍というものは、できれぱ、黙って行いで示したほうが、納得されるし、尊敬もされます。
【付言】 『論語』の解義には、宮崎市定さん『現代語訳 論語』 (岩波現代文庫 2000.5.16)を参考にさせていただいた。
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