平蔵宣雄が受けた図形学習(2)
2007年5月21日の日記に、実母・牟弥(むね)から[平蔵宣雄が受けた図形学習]を記した。
そのつづき。
平蔵(宣雄の幼名。のち相続名となる)たちがそのころ住んでいたのは、赤坂築地中之町(港区赤坂6丁目)であった。
近くの高台の先端に、広大な境内を誇る赤坂氷川神社があった。牟弥は、平蔵をつれて参詣し、神域のはずれから町々を見下ろさせ、30数えおわると向きをくるりとまわさせ、いま見下ろした景色にあったものを、上手から下手へ順に報告させた。
8歳の少年も、馴れてくると、瞬間に、ほとんど写真に撮ったように風景を、眼に焼き付けることができるようになった。牟弥は、平蔵の興味をそそるために、戦場における敵味方の配置や合戦の進行を見取る学習と称していたが、じつは注意力を瞬時に集中させるための鍛錬だった。
町を歩いていて、すれちがった者の年齢・職業、衣服の色などを問う。
推理力がつくと、向こうで立ち話をしている2人の会話の内容を推測させた。年齢・職業がわかれば、手ぶり身ぶりから話していることも推し測れようというのだった。
平蔵は、並外れて注意深い青年に育っていた。
この学習法は、のち、宣雄から鉄三郎(平蔵宣以の幼名)へもほどこされた。
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