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2007.09.04

『よしの冊子(ぞうし)』(3)

老中首座・松平定信(さだのぶ)の許へ、隠密たちからあげられたリポート---『よしの冊子(ぞうし)に書かれた、火盗改メ長谷川平蔵宣以(のぶため)に関連のある項目を現代語に置き換えている。

よしの冊子(日付なし)
一. (松平(久松))左金吾(定寅 さだとら 2000石)の組の同心は30名いるのに、うち11名が病気と称して出仕してこないので、こんなありさまでは、せっかくお役についたのに、欠勤者が多くて他の組から人を借りてこなければならない。
これはあまりに外聞が悪い。
で、30人全員の家族状況を書きださせてたみたら、11名の者は家族数が多いから、出勤しないのは貧窮のためだろうと見てとって、11名に3両ずつ支度金を渡したよし。
そうしたらたちまち11名が出勤してきたよし。手当てをお出しになっても、よくもまあ、全員出勤の実をおあげになったと評判上々のよし。

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(左金吾組、筒の8番手の組屋敷。麻布龕前坊谷)

  【ちゅうすけ注:】
  松平左金吾屋敷…麻布桜田下町(現:港区元麻布3丁目)

  先手鉄砲・8番手
  組屋敷……………麻布・龕前坊谷(がぜんぼうただに)
             (現:港区麻布台1丁目)
              左金吾屋敷まで、徒歩20分。 

  松平左金吾の墓は、品川の東海寺に現存する。

一. 上州の百姓が1人、博奕場で殺されたので、堀 帯刀組の与力同心が出向いて吟味をしたとき、上州の岡っ引きの栄次がいうには、近郊の金持ちの弥右衛門が加害者だといい、金子20両を取って弥右衛門をゆるし、さらに身代のいい百姓5、6人も加害者だといって金子を取り込んだよし。栄次はその後、召し捕られて江戸表へ送られ、入牢したよし。
栄次の江戸宿の藤田屋がある日、掛りの羽田藤右衛門へ金千疋に鮮鯛一折を持参し、藤右衛門の留守に置いて帰ったよし。
そのあくる日、羽田が藤田屋を根岸(鎮衛 やすもり 勘定奉行公事方)の宅へ呼びだし、
 「その方が岡っ引き栄次の金子と鮮鯛を私宅へ持参したのはもってのほかのことだ。入牢申しつける」
と、きめつけたよし。藤田屋がいうに、
「それは人違いでございます。私は昨日はお宅へ参上してはおりません」
羽田藤右衛門が叱った。
「その方に間違いないはず」
そのとき呼びにきた者がいて藤右衛門は中座したが、ふたたび着座し、
「来なかったというなら仕方がない。それではその方へ頼みがある。栄次からの賄賂をことづかった者へ、その方は栄次の宿主なのだから、この目録と肴を返してくれるように。さて、このたびは見逃すが、以後、こんなことがあったらその方に入牢を申しつけるから、このこと江戸宿一同へよくよく伝えるように」
と、きびしくいって帰した。
栄次の手から根岸の用人2人にも300疋と1樽が贈られていたよし。
このことが根岸に知れたのできびしく叱られ、早々に目録を返し、樽はすでにいささか手をつけていたので内田屋で酒を買いたして返した。用人どもがいうに、自分たちが外出した留守に妻どもが受けとったことゆえ、今後は妻どもへもきつく申しつけておきます、と約束したよし。
栄次に金子をゆすられた百姓どもも根岸の宅へ呼びつけられ、きつく叱られてから帰村したもよう。栄次は死罪ときまったよし。

一. 松平左金吾が加役(火盗改メ・助役)中は役料を40人扶持ずつ下されているが、日々五ツ(8時)前に出勤してきた与力同心へは、宅より弁当を持参するにおよばず、と炊き出しをして食事をあてがわれているよし。
五ツ過ぎに出勤してきた者へは振る舞われないとか。お役についていらっしゃる間は物入りが多いのに、こんなお心遣いまでされては、いよいよ大変。まあ、ご本家がいいから家計のほうは大丈夫とはいえるが。

一. 本役の与力同心が田舎で出張った節、盗賊ていの者を召し捕り、金持ちの家の多い村方へ行き、盗賊を預ける。預かるのはたまらないと、金子を差しだして、
「ほかの村へどうぞ」
と頼む。昼どきでも身代のよい百姓家では庭で盗賊を拷問にかけ、きびしく責める。それを迷惑がって早く立ち去ってもらうようにと金子を差しだすそうな。
偽役人もいるとのこと。

一. 田舎は博奕がきびしく止まったようだが、江戸はまだ止んでいない模様。

一. 下総国香取郡で、盗賊を召し捕ったはいいが盗賊の妻の行き場がなくなったので、そっちで引きうけて善処しろといわれた村役人は難儀のてい。で、その方たちはこれまで村にいた盗賊を見逃していたのだから、その点を咎められるべきところだが、このたびは差し許す。
゜妻のほうは吟味しても盗みには関係がなさそうなので咎めなしだから、その方たちへ預けるから百姓へでも縁づけてやれと申されたよし。
反対できなくなった百姓どもは承知。その捌きを人びとはさすが根岸どのとほめているよし。

一. 左金吾はつねづね革柄の大小をさしておられるよし。加役(火盗改メ・助役)を仰せつけられて登城された日も革柄だったよし。

  【ちゅうすけ注:】
  子どもっぽい見せたがり屋。この仁には、どうもそういう性癖があ
  る。ぼくが、寛政のドン・キホーテとあだ名しているゆえん。

一. 加役を申しつけられたその日から犯人逮捕に働くのがこれまでは普通だったが、左金吾は急には諸事の打ち合わせも終わらない、4、5日過ぎてから捕らえはじめよう、無理に捕らえることもないのだ、といっているよし。これまでの加役とは流儀が異なっている。
長谷川は一体に毒のある人のよし。左金吾は毒のないと噂されている。

  【ちゅうすけ注:】
  松平定信と親戚筋の左金吾の、このあたりの持ち上げようは、
  隠密の「よいしょ」である。
  間もなく、定信方の隠密の間でも、左金吾のメッキがはげる。
  そこがおかしい。

一. 松平左金吾は加役につくと、家来を江戸中の自身番へ差し向け、
「加役中に左金吾の配下の者と名乗り、町家々々でもし飲食物をねだったり、金銭を無心した者がいたら、召し捕って連行してくるように」
との触れを置き、五人組の印形をとって帰ったよし。江戸中へこれほどにするからには一大決心の上だろう、と噂しているよし。
先達てまでは本役加役の配下の者が自身番へ来たら、小菊の鼻紙、国府の煙草、中抜きの草履を差し出すのが常識だった。そのための費用が1町内で月に5、6貫(1両ちょっと)かかっていたよし。
いまのようなご時世になり、こんなこともだんだんにやんできたので、町内は大悦びのよし。

一. これまで加役に就任した当座は、張り切って捕物をしたものだが、ことしの加役はめったに捕物をしないので、かえって気味が悪いと悪党どもも用心しているよし。

一. 松平左金吾が御先手を仰せつけられたとき、師匠番は松平庄右衛門(親遂 ちかつぐ。天明6年から翌7年弓組頭。930石)のよし。 
庄右衛門左金吾へ、
「早々のお礼廻りとして、御先手筆頭ならびに師匠番へはぜひお廻りになるように」
と教えたところ、
「いや、拙者はそうはしない。あなたはいまは引退なさっている。引退なさっている方のところはあとまわしでよい、現職の方々が優先だ、引退のお方はいちばん後にまわればよい」
といってのけたので、庄右衛門は、
「それはそれは……」
と絶句して引きさがったよし。

  【ちゅうすけ注:】
  庄右衛門能見(のみ)松平の支流。祖は世良田二郎三郎
  信光
の八男。
  この条で、退役した役職者が、新任者の師匠番という影の教導
  者となるシステムだったことがわかる。

一. 左金吾が加役を仰せつかった当日、殿中で長谷川平蔵がいうには、
「火事場へ出張るときは陣笠。頭巾はだめ。そのようにお心得あれ」
と。
「それは公儀よりのきまりでござるか」
と聞き返す左金吾
「いや、そうではなく、本役加役の申し合わせでござる」
「それなら、拙者は頭巾をかぶります。公儀よりの掟として文書になっているのであれば頭巾であれ陣笠であれかぶりましょう。が、仲間うちの申し合わせということなら、自分の好きでよろしいではござらぬか。ことに拙者は馬が苦手なので、落馬しても頭巾ならば怪我がくない」
これには平蔵も、
「お勝手に」
というしかなかったよし。

一. 左金吾は先手組の同役の30人ほどの組頭の前でいうことに、
「拙者、このたび加役を仰せつかった。せんだっての加役の勤めぶりはよろしくなく、いろいろと了見違いもあったから、その方が改めるようにといいつかった」

  【ちゅうすけ注:】
  左金吾の前の火盗改メの助役(加役)は、長谷川平蔵だった。
  だからこれは本役の平蔵を公然と誹謗したことになる。

一. これまで、放火犯または盗賊を吟味するために逮捕しているのは、はなはだよろしくない。火附盗賊をしない前に逮捕してこそ加役の第一の心得といえる。将軍のお膝元に火附盗賊がいるなどということははなはだ悪いことだから、そのような者をいないように、その前から手をうっておくのが加役のご奉公というもの。まず、それについては江戸中の無宿がはなはだ悪者である、これを残らず召し捕り首を切ってしまえ、とまではいわないが、せめて(水替人夫として)佐渡送りにすべきだ。田沼以来、とりわけ無宿人がのさばり、丹後縞などを着ている者までいるというではないか。

  【ちゅうすけ注:】
  「無宿人を将軍の江戸から追っ払え」というのは、近隣藩の迷惑
  を考えない暴論。
  また、当時の佐渡金山の水替人夫の死亡率は極端に高くて、
  送られて半年もしないうちにたいてい病衰弱死したという。
  丹後縞…丹後国与謝地方から産した縞の着物。多くは紬(つむ
  ぎ)の高級品。

一. 左金吾は麻の上下の小紋、衣類の小紋など、みなおも高(沢潟 おもだかの葉を図案化したもの)の小紋のよし。目立つほどの大きな小紋のよし。これは拙者の替紋だといっているよし。

  【ちゅうすけ注:】  
  子どもっぽい目立ちたがり屋の左金吾の性格がよくあらわれて
  いる(情報の出所は、ひとりよがりの左金吾の放言に反発を感じ
  た、先手組の同僚の組頭あたりか)。

一. 左金吾は、自分の中に規矩(基準)をもっている人だから、加役(火盗改メ)が性に合っているようだ。加役を勤めるには申し分のない方だとくり返しくり返し褒める人もいるようだ。

  【ちゅうすけ注:】
  左金吾のひとりよがりな放談をもちあげるふりの先手組頭もい
  る。

一. いつのころか、当時、御徒頭だった遠山織部の下女が左金吾方へ使いに来て、その帰りにキツネがつき、いろんなことを口走りはじめた。
このことを聞いた左金吾はもってのほか立腹、
「うちへの使いの帰りにキツネがついたとあってはそのままにはできない」
と、家来を呼びだし、
「わが屋敷の鎮守のキツネがついたら、自分が一番鎗で稲荷も御幣も神鏡も宮も鳥居も突き砕いてやる。途中の稲荷のキツネがついたのなら、その下女に向かい、落ちるか落ちぬか問うて、落ちぬなら下女を鎗玉にあげてくれるから、その方たちは左右からその下女を突き殺せ。生き長らえたところでキツネつきでは役に立つまい。さあ、遠山伊織の屋敷へ参ろうぞ」
と、手鎗をさげ、家来を引きつれ、真っ黒になって行ったので、伊織方ではその下女が、
左金吾様がおいでになられ、奥へお通りではどうにもなりませぬ。落ちますから、左金吾様、どうぞ奥へいらっしゃらないで」
とおめき叫んだので、伊織左金吾を奥へ通そうとしなかった。
が、ことの次第を聞いた左金吾は、どうしても下女と対面するといって奥へ通って下女を責めたところ、
「落ちますから赤坂の榎坂(現:港区赤坂1-9~10 米国大使館脇の坂)までお送りください」
と懇請するので、駕籠に乗せ左金吾が脇をかためて行き、榎坂の上の大名屋敷にさしかかったところでキツネが一匹、その屋敷内へ走りこんだよし。
その後はキツネが落ちたので、左金吾殿はキツネまで落とされるたいしたお方だと評判のよし。

一. 松平左金吾どのは、去年(天明7年 1787年)の米騒動のときにも、門前の町家へ米などの食料を配られたよし。
そのとき、近所の屋敷にも打ちこわしの暴徒が来るとの噂が流れたので、家来へ命じ、毎夜々々、大小を抜きはなち、鎗の鞘をはずして門内へ控えさせ、もし、当屋敷へ入りこんだら、切り殺すか打ち殺せ、鉄砲以外なら何を武器にしてもいいから一人でも入ったら命じてあるとおりに処置するようにといってある、と殿中で話していたよし。

  【ちゅうすけ注:】
  米の値段が倍近くにあがったのは、米問屋が買い占め、売り惜し
  みをしているからだと、天明7年5月に、暴徒化した群衆が江戸
  府内の米屋や質屋などの商店を襲った。
  町奉行所は鎮圧できなかったので、長谷川組をはじめとする先手
  組10組に出動命令が下った。
  34組の中で選抜された10組は、いずれも組頭の年齢が65歳以
  下の組だった。
  先手組頭は高齢化がそれほどすすんでいた。
  リストのトップに長谷川組の名があがっているのは、弓組・鉄砲
  (つつ)組では弓組のほうが格が上、また、2組の弓組組頭では
  長谷川平蔵が先任者だったため(日本的な序列のつけ方)。
  データを読み違えて、発令された10組の総指揮を長谷川平蔵
  がとったように書いている人がいるのは、史料の読みが浅い。
  またこのときの動員人数を、1組の与力は10人、同心は30人だ
  から、かける10組で、与力の総数100人、同心300人と書いて
  いる人もいるが、捕物担当の与力・同心は組の中でも半分以
  下……ということを知らないための算術。

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  【ちゅうすけ注:】
  お目見 明和2年(1765)     24歳
   継嗣の兄の死によリ、織部定寅が相続権が生じた。
  家督   明和8年(1771)     30歳
  火事場見回り 安永2年(773)  32歳
   1年半で免。よほど勤務が不良だったか。
  先手組頭・火盗改メ助役
   天明8年(1788)          47歳 
   15年ぶりの役職。

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