『よしの冊子(ぞうし)』(28)
よしの冊子(寛政3年(1791)4月21日つづき)より
一 長谷川組の手の者が、赤坂火消屋敷所属のがえん3人、駿河台で2人、小川町で2人、お茶の水で2人を召し捕らえたよし。いずれもがえん。
【ちゅうすけ注:】
(『風俗画報』179号 [江戸の花]より)
がえんは、定火消し屋敷に雇われている火消し人夫。仕事が荒
っぽい分、人柄はよくないのが多かったようだ。がえん部屋に寝
起きしていて、いざ、火事! となると、がえんたちが枕にして寝
ていた丸太の端を槌で打つ。
赤坂の3人のうちで〔早飛〕の彦というのは大盗賊の頭目だったとか。隠れていた吉原から板橋へ立ちわったが、隠密廻りが廻ってくると聞き、駕籠で立ち去ろうとしたところを召し捕らえられたのだと。
手下が150人ほどもいて、町方の諸々へ押し入っていたよし。
ほかのがえんたちも50、60人ずつ手下を従えていたそうな。
(赤○=赤坂の定火消し屋敷 近江屋板)
(赤○=お茶の水の定火消し屋敷 近江屋板)
〔早飛〕の彦が吟味にあったとき、「手下どもはお構いくださるな、みな手前が、今夜は四谷へ行け、お前は浅草へ行け、と指図していたもので、連中はろくな奴らではありませぬ。こうして私めが召し捕らえられたからには、たかが酒屋で酒代をふみ倒すていどのことしかできますまい。うっちゃってお置きなさい」と大言を吐いたそうな。
一 長谷川の屋敷では、連日、大盗賊が召し捕られてくるので、毎日大釜で炊き出しをしなければならないほどで、たいそうな物入りだとか。
長谷川は盗賊どももことのほかよく扱い、衣類なども与えている様子。そういうことは前々からとのこと。
牢内へも自分のところの中間を忍びこませて様子を見聞きさせているので、このごろは牢内の食事の質もあがり、湯水も不足なく配られているとか。
先達ってまでは食事の質も悪く、夏などは行水の湯もほんの申しわけていどに渡され、ほとんどは牢屋掛の者が行水に使っていたとか。
飯もはなはだ粗末なものだったらしい。長谷川が牢内へ中間を入れてからは、すべてが改善された模様。
【ちゅうすけ注:】
火盗改メの役宅は、 『鬼平犯科帳』の清水門外にはなく、組頭
の屋敷に白洲や仮牢がもうけられていた。
火盗改メの組頭の役料は40人扶持。これから与力・同心の旅費
や事務用品、牢番の手当ての見た。
入牢者の食費もそう。
ここに書かれている牢は、仮牢と小伝馬町の牢の二つが混記され
ているようだ。
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