養女のすすめ(5)
この[養女のすすめ]、じつは、史料は、『寛政譜』の記述一つきりなのである。
(銕三郎の妹3人=緑○。うち2人は宣雄の養女)
(養女と実妹を拡大)
平蔵宣義(のぶのり 幼名・辰蔵)が、 『寛政譜』のために、平蔵宣以の死後に、幕府に上呈した「先祖書」には、
宣雄妻 長谷川伊兵衛宣安女(小説の波津)
宣雄養女 小普請戸田弥十郎支配組頭之節、縁組
願之通被仰付
水原善次郎保明妻
実 松平大学頭 従 三木忠大夫忠任女
宣雄養女
実 駿府町奉行 朝倉仁左衛門景頭女
始小普請組堀三十八郎支配三宅半左衛門徳屋エ
嫁候処 不縁ニ離別 厄介ニテ罷在 卒
宣雄女 西丸御書院番
水谷伊勢守組之節 大久保勝次郎忠居妻
当時 平左衛門
(「先祖書」原本・部分 長谷川本家の末裔・雅敏氏の採集による)
それで、松平大学頭(だいがくのかみ)を探した。
平蔵宣以の時代までに、大学頭を称した松平は6人いた。
うち、形原松平の2人は、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以)が14歳のころの100年も前に卒している。
久松松平の大学は、頭がついていないが、50年も前に卒。
大給松平の大学頭も100年ほど前の故人。
元久松の松平の大学は、榊原へ養子に行入って改姓。
のこったのが、先代の高崎藩主・右京大夫輝規(てるのり)侯。
もちろん、数年前に隠居しているが、何人かの家臣はついているはず。
で、三木忠大夫忠任(ただとう)もその中の一人と、強引に推定した。
むろん、無理は承知のうえである。
あと、考えるのは、宣雄と忠任はどこで知りあい、肝胆あい照らす仲(?)になったかである。
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