養女のすすめ(4)
今夕は、銕三郎(てつさぶろう)も膳をともにするように言われた。
長谷川家では、書院でとる平蔵宣雄の給仕が終わって、さがってきた妻女と銕三郎が別の部屋で食事をする。
宣雄はよほどのことがなかぎり、晩酌はしない。嫌いなほうではないが、ふだんは倹約を心がけている。
妻女の多江からの飯椀を受けとりながら、宣雄が訊いた。
「中根どのは、無事にお帰りになったか?」
「父上のお心づかいに、重々のお礼を述べておられました」
「うむ。あの仁をどう思った?」
「お齢(とし)にも似合わず、お足の速いのには驚きました」
「お人柄のことだ」
「お若い時のお苦しみを、すべて胸におさめてきていらっしゃったようですが、それにしてもご子息に先立れたことが、よほどにおつらいようにお見受けしました。私の名前を、何度も、逝くなられた銕之助さまとお間違えになりました」
給仕についていた多江が口をはさんだ。
「世間では、親に先立った子の墓は早くには建てるな、と申します。不幸の最たるものと思われております」
「そうそう。養女のこと、くれぐれもお考えのことと申されました」
「そのことよ。じつは、かねてから、ある仁から、娘を養女に---と、頼まれていた。この機会だから、両人の存念を確かめておきたいと思った」
「あるご仁とは?」
「三木どのといってな。いや。直臣ではない。高崎藩(8万2000石)の江戸詰めの仁だ」
多江がまず返答をした。
「私は、とっくに三十路(みそじ)を越しました。子宝には、もう、縁がないものとあきらめております。いいお話しであれば、どうぞ、殿さまのお考えどおりにお決めくださいませ」
「銕三郎はどうかの」
「高崎藩士といわれました。昨年、若くしてご老中におなりになった松平右京大夫輝高(てるたか 35歳)さまのご家臣ということですね」
「そうだ。陪臣の娘では、不服か?」
「伺っておきます。私の許婚ということではございませんでしょう?」
「あたりまえだ。そのような存念は露ほどもない。それとご老中ともなんのかかわりもない」
「閨閥づくりにもかかわりがないと---」
「中根どのが仰せじゃなかったか。銕三郎に妹をあてがって、おなごの考え方、感じ方を学ばせよと」
「私めのためですか---」
「いや。それも一つの理由ではあるが」
「ほかには---?」
「奥の故郷でもあり、わが家の知行地でもある上総(かずさ)のほかに、北の上野(こうずけ)国あたりに親類ができるのも、またおもしろいとおもわぬか」
「それは考えてもみませぬでした。旅ができますね」
「ふふふ」
(木曾海道六拾九次之内 高崎・広重)
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