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2007.10.28

多可が来た

養女・多可が来る日。
銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以)は、朝から落ち着かなかい。
(自分にはなんのかかわりもないのだ。猫が一匹、やってきたと思えばいい)
そうは思っても、三島大社の裏の路地の家で交わしたお芙沙(ふさ)との初めての性の睦みが、昨夜のことのように思い出されて、平静ではいられなかったのだ。

塾の黄鶴(こうかく)は、劉廷芝(りゅうていし)の詩を講じていた。

 洛陽城東(らくようじょうとう) 桃李(とうり)の花
 飛び来(き)たり飛び去って誰(た)が家に落つる
 洛陽の女児(じょじ) 顔色(がんしょく)好(よ)し
 行く落花落ちて逢(お)うて長嘆息(たんそく)す
 今年(こんねん)花落ちて顔色改まり
 明年(みょうねん)花開くも復(ま)た誰(だれ)か在(あ)る

 年々歳々 花相(あい)似たり
 歳々年々 人同じからず

長谷川。人同じからず---とは、なにを謳っているのか」
突然、黄鶴師に指名された銕三郎はあわてた。
「はい。きのうはなにごとも許してくれたのに、きょうはすべてを拒む女心---ということかと---」
「なにを考えておるのだ、長谷川。顔を洗って、頭を冷やしてこい。昼間から寝ぼけるでない」
(田中城下からの帰りの、お芙沙の無言の拒否は、人同じからず---だったが)
銕三郎は、塾の裏の井戸へゆきながらつぶやいていた。

夕刻、陸奥・守山藩の大塚吹上の藩士屋敷から家士・三木忠大夫忠任(ただとう) がむすめ・於多可を伴ってあらわれた。
平蔵宣雄(のぶお)は、まだ、下城してきていなかった。
城中でなにか差しさわりでも起きたのかもしれないが、供の若侍・桑島友之助も言伝(ことづて)を持ちかえってこない。

部屋へ通された於多可は、14歳の少女とはおもえぬほど、柳の小枝のように細い躰を緊張でより固くしている。
銕三郎の実母・(たえ)が言葉をかけた。
多可さん。あなたさまのお部屋をご覧なさいますか」
「あ、ご内室さま。多可は、ただいまからはそちらさまの娘。そのようにお扱いくだされ」
忠大夫忠任が恐縮した。
40歳にはまだ間があるようだが、横鬢(びん)にはすでに白いものが混じっている。

「それでは。銕三郎、於多可を案内しておやりなさい」
の声がいつもより高ぶっている。
やはり、気がはっているらしい。

多可の部屋になるのは、母の隣だった。
銕三郎が訊いた。
「お前、どこで育った?」
「藩の屋敷です」
「その藩の屋敷というのが、どこにのあるかと訊いておる」
(若葉(じゃくよう)の女児(じょじ) 顔色(がんしょく)好(よ)からず---ではないか)
「大塚・吹上(ふきあげ)」
「母者もか?」
「母は逝きました」
「いつ?」
「2年前」
多可は、突然、涙ぐんだ。


「なんだ、これしきのことで---家士のむすめが江戸の藩邸で育ったというだけでも稀有のことだ」
いいながら、銕三郎は戸惑った。

藩士が妻子と江戸にいる?

目じりをぬぐった多可は、ぴたりとすわって指をつき、銕三郎を見上げ、
「お兄上。これからもきびしくお叱りくださいますよう」
「む」
(これが妹というおなごか)
銕三郎は、ますます戸惑った。


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