養女のすすめ
酒肴の支度を待っている時、外から帰ってきた銕三郎(てつさぶろう)が自室へ行くために、中庭に面した書院の廊下を通りかかり、客の中根伝左衛門正雅(まさちか 71歳 300俵 書物奉行)に気がついて、足をとめた。
「おお、ちょうどよかった。銕三郎、中根どのへご挨拶をしなさい」
「かしこまりました」
「中根どの、嫡男の銕三郎めです」
「お初にお目にかかります。銕三郎と申します。銕は金偏に夷と書きます」
「うっ。いや、これは、ご挨拶。中根伝左衛門です。たくましい若者にお育ちじゃが、お幾つかな?」
「14歳にあいなりました」
「お目見(みえ)はおすみで?」
「研修中の未熟者にございますゆえ---」
「ふむ。お父上もまだお若いから、お急ぎになることもありますまい」
長谷川平蔵宣雄(のぶお 41歳 小十人頭)は目で銕三郎を引き下がるように伝えた。
銕三郎が書院から辞去するのを見計らった伝左衛門が訊いた。
「ご子息は銕三郎どののほかに何人か?」
「あれ、ひとりです」
「ご息女は?」
「いません。不甲斐ないかぎりで---」
「それは危うい」
「は?」
「ご子息おひとりというのは、危ううござる。いや、手前ごとでお耳をけがしますが---」
伝左衛門は、先年、継嗣・銕之助を、突然に病死させた。
「銕之助の銕は、ご子息と同じ、金偏に夷でした。いや、不吉なことを申して恐縮だが、他意は毛頭なきゆえ、お許しを」
「ほかに、ご子息は?」
「娘にも、恵まれまれず、銕之助ひとりきりでした。ただ、手前は養子に入って、中根の長女を妻にしましたゆえ、外に子をつくることも、ちと、はばかられましてな」
養子といっても、伝左衛門の場合は、中根の本家筋の女性が伝左衛門の実家・天野家(両番の格 1110石)へ後妻に入って産んだ次男だった。その縁で、中根へ婿養子として入った。
だから、まったく縁もゆかりもないとこめからの養子ではない。
膳が運ばれて、銕三郎の実母・妙(たえ 34歳)が挨拶にきた。
「銕三郎の母親で、妻女同様に家事を取り仕切っている者です」
挨拶をすました彼女は、すぐに出ていこうとした。
「奥方どの。いましばらく、ごいっしょにお聞きいただきとう---」
妙が座ると、伝左衛門が、継嗣を亡くして、養子が決まるまで、老齢にもかかわらず、勤めをやめられないでいること、家付きの妻女がむずかしかったので、養子がなかなかにきまらなかったこと、婿を迎える娘もいないこと---などを打ち明けてから、
「ご子息はお健やかでけっこうですが、女子もいたほうがなにかと縁がつながるというもの。養女もお考えなっておいてはいかが---いや、初めてお伺いしたにもかかわらず、出すぎた分は、わが身の愚痴と、齢(とし)に免じてお許しいただきましょう」
【ちゅうすけのつぶやき】
宣雄の妻女、銕三郎 の実母については、このブログの第一画面・左のカテゴリー枠の[長谷川平蔵の実母と義母]をご参照を。
中根の別家系の家譜と正雅の譜。
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