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2007.10.15

養女のすすめ(2)

酒食が終わると、6ッ半(午後7時)をまわりかけており、夕闇が濃さをましていた。
よほど気分がよかったのか、中根伝左衛門正雅(まさちか 71歳 300俵 書物奉行)は、60歳の山をこえてからはひかえめにしていたいつもの酒量を、いささかすごしていた。

銕三郎(てつさぶろう)。中根どのを、牛込逢坂(おうさか)上のお屋敷までお送りしなさい」
「いや、小者の要助も供しておりますれば---」
「途々(みちちみ)に、中根どののお話をお聞きする機会などはめったにあるものではありませぬゆえ---」
宣雄(のぶお 41歳 小十人頭)にそういわれると、わるい気はしなかった。
「では、お言葉に甘えて、寸時、ご子息を拝借させていただきます」

銕三郎。今夜は、御納戸町の正脩(まさなり 長谷川久三郎 4070石)どののところへ泊まればよい。先に太助をつかわして、頼んでおく」

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(牛込・市ヶ谷御門外図の部分。赤○=中根家 緑○=長谷川久三郎家 池波さん愛用の近江屋板)

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(市ヶ谷船河原町の逢坂上横町の中根家。次郎右衛門は継嗣)

中根家の小者の要助銕三郎の2つの提灯の足元を照らされてはいるが、それでも伝左衛門は、齢(とし)には見えないしっかりした足取りである。ともすれば、銕三郎のほうが小走り気味になることもあった。伝左衛門は、毎朝、鉄筋を入れた木刀の500回素ぶりを欠かしていないといった。
京橋川に架かる中ノ橋を北へわたり、まだ家々から灯火もれている八丁堀の町方与力・同心の屋敷をつっきり、神田川ぞい・柳原堤へ向かう道を歩いた。

「御納戸町の長谷川の屋敷からほんの少し南の中根坂に、中根さまの大きな屋敷がありますが、ご本家でしょうか?」
銕三郎は老人を遇する術(すべ)を心得ている。
「いや。中根には2流ありましてな。どちらも三河国額田(ぬかた)の箱柳の出で、岡崎城に伺候して広忠さまにお仕えしましたが、あちら---日向守正均(まさただ 6000石)どのは、道根と呼ばれて、手前どものほうはそのまま箱柳の中根を自称---」

神田川に架かる筋違橋(すじかいばし)をすぎたあたりで、伝左衛門が、突然、問いかけた。
銕三郎どのには、ご縁者の家に、年頃の同じような娘ごがおられますかな」
「は---?」
「いや、気軽に口がきける娘ごであれば、ご縁者にかぎったことではないが---」
「今夜、泊まることになっております、御納戸町の長谷川に、ひとり---」
「よく、話しあいますか」
「いえ。わが家は400石、先方は10倍以上の4040石を鼻にかけておりますので、対等には、とても話しあえませぬ」
「お父上は小十人頭で1000石格だが、家禄ではないから、やはり、な」

しばらく黙って歩いていたが、さいかち坂をくだりきって、水道橋の南詰で、要助になにやら用をいいつけて先に行かせた。要助の提灯の明かりが闇に溶けたのを見すますと、伝左衛門銕三郎をうながして橋を北へわたり、水戸家の屋敷の塀ぞいに神田川をさかのぼりつつ、独り言のように話し始めた。
「じつは手前、実家の天野では、兄・伝之助(のち重供(しげとも)が早くに卒しましてな。9歳から1歳下の兄の息と兄弟のようにして育ちましてな」
11歳で中根家へ養子に入ったのは、大坂城の守衛に詰めていた義父・昌長(まさなが)が28歳で急逝したためであった。生母は後妻で、大助と兄とは24歳のへだたりがあった。

中根へ入ってみると、亡くなった義父も、同じ中根ではあるが道根系の仁左衛門正造(まさつぐ 500石 大番の家系)から19歳で末期養子として、次女の婿となった人であった。
この次女---つまり、20台で後家になった手前の義母には、10歳と8歳の娘がいた。
10歳の娘のほうが、のちに手前の妻女となるわけだが、女ばかり3人の中で、大助(だいすけ のちの正雅)少年は、いじめられっぱなしであった。
とりわけ、若後家の義母の、なにかにつけて養子を見下す、ねっちりとしたもの言いがひどかった。それで伝左衛門は、義父の若死の遠因のひとつが、義母の態度にあったらしいと推測した。義父へのいじめの矛先を、大助少年が肩がわしたも同然だった。
とにかく、触らぬ神にたたりなし---大助は、心を閉ざして、自分の精神世界に遊ぶ術を自習することにした。

「幼少のときから、女というものに、付き合う術(すべ)を身につけておかないと、人生、とんだことになります。それで、今宵、ご両親に、養女をすすめておき申した。銕之助どのからもお願いさなれ」
若後家ということばに、お芙沙の甘美な姿態を思い浮かべて、股間を熱くしていた銕三郎は、いきなり銕之助と呼びかけられて、現実へもどった。

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(歌麿 「若後家の睦み」部分 『芸術新潮」2003年1月号)

いつのまにか、銕三郎が亡息の銕之助になっているのに、伝左衛門は気づかないふうであった。

【参照】
芙沙とのある夜の出来事2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)]

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