相良の平田寺
遠州で最も古い禅寺・平田寺(へいでんじ)は、相良の大江459にある。開基は弘安6年(1283)。
臨済宗の寺院らしく、庭園は、閑静なたたずまいの中にも、凛(りん)とした気品を保っている。
山号・寺名は、「山は長江を吸い、寺は平田に誇る」に由来する
田沼家が相良に封じられたとき、ここを旦那寺としたのも、なんとなくわかるような気がする。
老禅師が、宝蔵・書院を開けて国宝・秘宝・文化財のかずかずを説明してくださった。
国宝第74号に指定されたのは、聖武天皇の勅書。もっとも、当寺にくだされたものではなく、めぐりめぐって、当寺に流れついたもの。その経路は謎である。
また、延慶3年(1310)の刻字のある石造・宝塔は、風雨による損傷を顧慮、宝蔵へ移されている。
(老禅師から宝塔の由来を聞くSBS学苑パルシェ〔鬼平クラス〕)
さらに感銘を受けたのは、リーフレットに掲げられている、田沼意次(おきつぐ)から江戸・駒込の勝林寺と当寺に贈られた、夏冬ニ肩の裁交金襴九条袈裟の写真を見た時である。
絢爛豪華なことはいうまでもないが、賄賂取りの悪名がもっぱらの意次のほうが、旦那寺へ贈与をしている事実を初めて知った。
2007年11月12日に紹介した相良教育委員会編 『田沼意次』 には、領内の神社へお神輿なども寄進したことが書かれている。
平賀源内などにほどこした金子のこともある。
だからといって、賄賂を取らなかったという反証にはならないが、領主たるもの、いろいろと気と金子を遣わねば敬意が受けられない---とわかって、参考になった。
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