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2008.01.05

与詩(よし)を迎えに(16)

駿府・伝馬町の脇本陣〔大万屋〕清右衛門方には、夕刻前にはいった。
藤六(とうろく)は待ちかまえていて、奉行所の内与力(うちよりき)・笹田左門(さもん)との打ち合わせの経緯を要領よく報告するとともに、これから、銕三郎の到着と、明日の訪問時刻を告げてくるという。
「そうか、では、拙も参ろう」
「若はお疲れでしょうから、手前一人でよろしいかと」
「いや、それでは礼にかなうまい。節(せつ)をふもう。訪問用の羽織と袴をだしてくれ」

奉行所は追手門外にある。〔大万屋〕から5丁(約500メートル)と離れていない。

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(駿府町地図 赤○=町奉行所 緑○=奉行所与力屋敷 黄○=同心屋敷
 ピンク面=寺社地)

内与力とは、親代々の奉行所与力6名とは別に、奉行が江戸から連れてきた自家の用人を当てる。いってみれば、秘書課長みたいな職柄である。奉行の解任とともに、内与力も役を解かれ、幕府からの扶持もなくなる。

藤六がまず、奉行所の表門で当直の同心に笹田左門への刺(し)を乞う。
奥から戻ってきた同心は、銕三郎を丁重に、家族が住む役屋敷のほうへ案内してくれた。

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(駿府奉行所図 笠間良彦氏『江戸幕府役職集成』 雄山閣出版)

役屋敷の玄関脇の部屋で待たされていると、笹田与力(50がらみ)と年増の女性が入ってきて、上座に座った。銕三郎は無役・無禄なのだから、とうぜんである。

「お初(はつ)にお目どおりいたします、小十人組五番手頭(かしら)・長谷川平蔵宣雄(のぶお)が息(そく)・銕三郎(てつさぶろう)宣以(のぶため)にございます」
「内与力の笹田です。こちらはご内室さま。ま、ここは表とちがい、内むきの役宅でもあるし、私用のことにつき、堅苦しいことは抜きして、ざっくばらんに話しあいましょう」
「ありがとうございます。父の名代で、ふつつかなれど、与詩(よし)どのを養女としてお受け取りに参上いたしました」
志乃(しの 25歳)がうけた。
朝倉の奥の志乃です。銕三郎どのとやら、多可(たか)が、えろうお世話になったとか。文(ふみ)で、それはそれは立派な兄上といってきておりました」
駿府奉行・朝倉仁左衛門景増(かげます 61歳 300石)の3人目の内室・志乃は、多可の従姉(いとこ)にあたる。
多可は、気の毒をしました」
「ほんに。それで、与詩は、いつ、発(た)たせますか?」
「もし、ご用意がよければ、明日の朝にでも---」
「荷は、4日前の船に載せました。手まわりのものは、今晩にでもととのえられます」

志乃の口ぶりからすると、一日も早く、手放したい感じだ。
夫の景増は病床にあり、夫とのあいだにできた子が2人、さらに志乃が内室におさまってからも、景増は4人の子を脇で産ませて、すべて引きとっている。
内輪のとりしきりだけでも大ごとであろう。
志乃が、25歳というじつの齢よりも、かなりやつれて見えるのはそのせいかも知れない。

「それでは、明朝、五ッ(8時)に奉行所の脇門前へお越しくだされ」
そういって立ち上がった笹田に、
「あ。これは、小田原で求めてまいりました〔透頂香(とうちんこう)〕という万能薬です。さしつかえなければ、朝倉さまにお用いいただけば幸甚です。ご快復、こころより、念じております」
「これは重畳。医師方と相談してから、進(しん)ずることにします」

笹田与力が去ってから、志乃がいった。
「いま、与詩を呼びますが、その前に一と言。神経が細かすぎるところがありまして、興奮すると、6歳にもなって、お寝しょを漏らします。旅のあいだ、宿々でお気をつけくださいますよう」
「毎晩でございますか?」
「ええ、ほとんど。おむつがはなせません」
志乃はにんまりと笑っているが、銕三郎は、心中、困りはてていた。
(そういうことは、養女の話の前に言っておいてほしい)

宿へ帰ると、銕三郎藤六に命じた。
「おむつにする古着を、そう、六日分ほど求めてきてくれ」
驚く藤六に、志乃の打ち明け話を告げると、
「若さま。そういうことですと、先さまがお持たせになるでしょう。まあ、いまの季節ですから、一夜で乾くはずはございませぬし、洗ったおむつを旗のように立てて道中して乾かすわけにもまいりませぬ」
「あたりまえだ。そんな臭いものをもって歩けるか。毎朝、使い捨てだ」
「いえ。朝倉さまがお持たせになった分が足りなくなったら、そのときにこそ、宿々で求めればよいこと。あましてもつまりませぬ」
「なるほど。理だ。藤六は、お寝しょうぐせの子をもったことでもあるのか?」
「女房もおりませぬのに、子がいるわけはありませぬ」
「そうであった。ははは。おれは明日から、お寝しょうぐせの妹もちとは---われながら、冴えぬのお」


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