隣家・松田彦兵衛貞居(2)
高杉道場での稽古を終えた銕三郎(てつさぶろう 24歳)が帰宅すると、待ちかまえていたように新妻の久栄(ひさえ 17歳)が、
「お隣りの松田(彦兵衛貞居 さだすえ 62歳)さまの於千華(ちか 34歳)さまとお話ししてきました」
「於千華というと?」
「あら。新三郎(しんざぶろう 10歳)坊やのお母上さまでございますよ」
「あの甘ったれ坊主、新三郎というのか」
「お隣りの坊やのお名前もご存じじゃなかったのでございますか?」
「向こうは1150石を鼻にかけて、こちらの400石を見下しておるので、つきあいはほとんどなかった」
「でも、於千華さまのご実家・堀田(頼母一興 かずおき 23年前歿=56歳) さまは5000石ですが、於千華さまはそんなことはわれ関せずで、いこうさばけたお方でございました」
「たしか、3人目の奥方ではなかったか?」
「そう、おっしゃっておりました。ご当主・彦兵衛殿さまが50歳のときに、23歳で嫁(とつ)がれたのだそうです」
「1人目の奥方も2番目の方も、わが家がここへ越してくる前に亡くなっており、そのお子たちも若くして逝かれていた。拙たちが越してきたとき、いま名前のでた新三郎とかいう坊は、ぴいぴい、よく泣いておった」
「お舅(しゅうと)どのがこちらへの地所をお求めになったのは5年前と、母上からうかがっておりますから、新三郎坊やは、当時、5歳---」
「そうなるかの。よその家のことにはかかりあわらない家風ゆえ、気にとめたこともなかったが---。ところで、なんといって伺ったのだ? 母上もご存じか?」
「このたび、隣りに嫁に参りました久栄と申します---とごあいさつをしたら、奥へ招かれました。もちろん、母上にはご了解をいただきました。母上は、ご自身は山家(やまが)そだちで口上もままならぬゆえ、よろしゅう辞を通してきてたもれ、とおっしゃって---」
「久栄の口にかかったら、いかなる気むずかし屋でも、相手にならずばなるまい」
「ええ。お隣りのお殿さまは62歳におなりとかで、夜のことはすっかりご無沙汰らしく、於千華さまは、夜がむなしゅうてむなしゅうて---とお嘆きで、わたくしがうらやましい、と---」
「そんなことまで話しあったのか?」
「うちは毎夜だと申しあげました」
「おいおい、そのような内輪のことまで---」
(清長 部分 久栄のイメージ)
「うち解けないと、火盗改メのお頭の奥向きとしてのこころがまえが訊けませぬ」
「なに?」
「お舅どのにご下命がくだるのは、目にみえていますから---」
「だれがそんなことを?」
「ご本家の太郎兵衛大伯父さまです」
「ふーむ。大伯父が、久栄にそんなことをお洩らしになったか---」
「わたくしが、よほどにのん気者にお見えになったのでございましょう」
「ところで、於千華どのと申されたか、隣家の奥方。なにゆえに、30も齢が違う松田どのへ嫁(か)されたのだろう?」
「脇腹の、しかも、あまりお勝手(家計)のよくないえお家の出の方であったそうで---その上、ご当主のお父上が亡くなられ、居ずらくなられたとか。そうそう、片方のおみ足がすこしお悪いこともあって、婚期が遅れていたとおっしゃっていました」
「火盗改メの内実を調べてくれるのはいいが、くれぐれも深入りをしないように。それと、いま話してくれたことを、父上にも母上にも、あまり話さないほうがいい」
「承りました」
久栄は、ちょろっと舌をだしてから、いたずらを見つかった子どものように微笑んだ。
銕三郎は、その頬を指でついて、
「こいつ」
夜。
久栄が言った。
「お隣りに広言したとおりのこと、はたしましょう、幾重にも---」
(松田彦兵衛貞居の固人譜)
【参考】2009年2月17日~[隣家・松田彦兵衛貞居] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) 9)
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コメント
いよいよ新妻の久栄さんの登場ですね。
小説では、ふくよかな印象を受けていましたが、こちらの久栄さんはずいぶんと現代的で、私たちとあmり考えが違わない野で安心しました。
がんばれ、久栄さん。
投稿: tomo | 2009.02.18 08:45
>tomo さん
あのころの婚儀の式次第を腹べたのですが、きちんとした史料がみつからなかったので、いきなり、新婚生活から書き始めてしまいました。
久栄さんの性格ですが、池波さんは、どうやら、ご自身の奥方とお母さんをあわせたように書いていらっしゃる感じがしたので、ちょっとはねっかえりの気味もある久栄さんにしました。
いかがでしょうか?
投稿: ち | 2009.02.18 10:37
400石級の武士の婚儀風景期待していたのですが、もう新婚生活ですね。
池波さんの描かれた久栄さんも駆け落ちするなど相当お元気でしたが、ちゅうすけさんの久栄さんも驚きで私の江戸の武家娘に対するイメージが随分変わってしまいました。
投稿: みやこのお豊 | 2009.02.18 11:36
>みやこのお豊さん
大身旗本や大名家の婚儀次第は、市岡正一『徳川盛世録』(東洋文庫496)に絵入りであるんですが、400石クラスが絵のような格式の高い婚儀をすねはずはないし---。信用できる史料が手にはいらなかったので、飛ばしました。
わかったら、与詩の婚儀に遣いましょう。
まあ、久栄は、小説でもかなり現代的に描かれています。
ただ、隣りの近藤勘四郎に処女をわたしたというのは、史実的にありえないのですよ。長谷川家は三ッ目通り、大橋家は和泉橋通りですから、史実的には。
もちろん、小説ではこのごろの性風俗にしたがって、処女性をあまり大切に見ないように描かれていますが---。
投稿: ちゅうすけ | 2009.02.18 14:14